●「おふくろさんよ、おふくろさん。空を見上げりゃ~・・・」
むかしの歌謡曲はひとつの歌を大切に大切に、長くうたいつづけたものだ。しかもテレビやラジオに登場する歌手の数も今とくらべて少なかったのか、同じ歌手の同じ曲を何度もかけてくれた。
子供ごころにそれを聞いていると、歌詞の意味は知らずとも、歌をそらんじることができるようになった。
●だが今の歌はそういう訳にはいかない。
次から次に曲がリリースされ、一人の歌手が同じ月に、二曲・三曲と新曲発売する。だから、自然にそらんじてしまう曲など滅多にない。
くりかえし聞きたい曲や覚えたい曲は音楽プレイヤーに入れるしかないのだ。
●たぶん歌っている歌手だって大変だろう。
ひとつの曲を大切に歌いつづけたいだろうが、レコード会社や業界がそれを許さない。その結果、人前で歌うときには、歌詞を間違えないように歌詞モニターのお世話になるしかなくなる。
●新作発表までのインターバルが早まってきているのは、歌に限った話ではないだろう。
たとえば、映画だってファッションだって書籍の出版だってそうだ。
●たとえば本。
一冊の本を長く長く味わって読んでいたら時代に遅れてしまいそう。
次々に本が出てくるので、次々に読んでいくしかない。とくにビジネス書はそうした宿命のようだ。
うっかりこちらが文芸作品などに手を出そうものなら、その月は一冊もビジネス書が読めない可能性がある。だから、文芸書は読まない。
ましてや古典や歴史などに手を出すのは問題外だ・・・、そう考える読者が増えてきて、日本人の精神をプアなものにしていないだろうか。
そういう私自身が、そんな読書人間になっているようで恥じ入る次第である。
●本を書く側、作る側にも問題がある。いや、こちらの方が大問題だろう。
次々に本を書いていないと、いったんオファーが途切れたら次はいつチャンスがあるか分からない。「かならず増刷がかかる作家」という看板があるうちに書き続けようとする。
●中には、最初につまずいてしまう書き手もいる。
ずっと前から”本を書きたい”と強く願ってきて、ようやくそれが実現したのに、1~2作品だけを残して書くのをやめてしまう人が多いようだ。
その最大の理由は「売れなかったから」だろうが、もうひとつ隠された理由がある。
それは、「興ざめ」である。
●精魂込めて書いた本。晴れて発売日がやってきた。
最近のビジネス書はスタートダッシュがすべてだと言っていい。発売日前後にネット書店でどこまでランキングを伸ばすかが勝負で、発売から1ヶ月以上たってからグイグイ売上げを伸ばす本など滅多にない。
●書いた本人も出版社もそれを承知しているので、最初からガンガン告知するが、やがてネット書店のランキングが急降下をはじめると、まるで過去の遺物か何かのようにその本の話題に触れなくなる。
●そういう本を一冊書いて得られる印税は、50万円から150万円程度。
講演を何本かやれば得られる収入なのに、その印税が入るのは通常、脱稿してから半年も先になる。
「あれ、何の振り込みだろう」と調べてみたら、本の印税だったということになる。
●おまけに、出版社(の多く)からは振込の通知もなく、お礼なり挨拶なりもないので、味も素っ気もない。
もちろん作者との縁を大切にする暖かい出版社もあるが、その比率は圧倒的にすくないと私は思う。
●あれだけ熱く夢を語りあって作った本が、出来てしまえばこんなものかと「興ざめ」する作者がかなりいる。
出版社の態度はそれでいいのか、と問いたい。まっさきに本を読んで勉強してほしいのは、出版社の方々である。
●もちろん作者にも問題がある。
作者もビジネスだから、コスト意識がある。その結果、本の執筆は一週間か二週間でやっつけないと割が合わない、などと考える人がでる。
コスト意識をもつのは結構だが、極端になるのはよくない。
ひどいのは、「武沢さん、本は宣伝ツールだと思えばいいんですよ」という作家がいるが、売名のために本を利用するなど読者への冒涜ではないかと思う。
●そんな話題を見聞きしていると、ビジネス書コーナーの前にきても読みたい本が見つからなくなり、活字離れを加速させているように思えてならない。
●月曜日に朝からそんなことを感じながらも、またこれからも私は本のお世話になるだろう。
書き手も作り手も立ち返るべきは原点、それは、勉強して良いものを誠実に作るしかない。
「がんばれ!作者」、「がんばれ!出版社」、日本の命運はあなた達が握っている、と祈る気持ちである。