●盛り場での色恋話は もともと”たわいない” ものが多い。
半分はウソだと分かっていてもいろんな約束をする。お客のほうもホステスの方も会話の多くは座興だと割り切っているから、もし約束を反故されてもあまり目くじらを立てない。
だからこそ、そうした場所で働く女性は誠意ある男性に弱いのかも知れない。そう考えさせられる浪曲を聞いた。
●一介の染め物職人でありながら、色街・吉原を代表する花魁(おいらん)を嫁にもらった男の話である。
その男とは、浪花節や落語で有名な「紺屋高尾」(こうや たかお)の久蔵どんである。久どんの心意気の前では、不可能さえも可能になったのだ。
●あの松下幸之助さんが若いころ、大阪では浪花節(浪曲)が大流行した。
当時、こんな話が残っている。
昭和39年、東京五輪特需の反動で景気が悪くなった。
松下電器の会長として病気療養中でもあった幸之助だが、この非常事態に現場復帰する。ところが事態は容易に好転せず、苦悩の日々が続いていた。
そんなある日、幸之助は会社にもどり秘書にこう頼んだ。
「悪いがレコード屋に行って『紺屋高尾』の話を買ってきてくれんかな」
●「紺屋高尾」のあらすじはこうだ。
・・・
江戸、神田の紺屋ではたらく染物職人の久蔵。11才から奉公づとめを始めて早15年、今年26才になった。
遊びをまるで知らず、まじめ一途に働く好青年だった。 その久蔵が、偶然とおりかかった「花魁道中」で高尾太夫に一目ぼれする。
この世のものとも思えない美しさに魂を奪われ、それから何を見ても高尾に見えるようになってしまった。
あんな美人と一晩語り明かしてみたいが、相手は「大名」でも「お大尽」でもそでにしてしまう最高級の位の「太夫」(たゆう)。
とても自分には無理だ、と諦めていたが染物屋のご主人に励まされ、その後三年間の給金をすべて貯めて吉原「三浦屋」の高尾太夫に逢いに行く。
悲願の対面を果たすが、そこは吉原でのしきたりで、初会は客に肌身は許さない。別れぎわ、高尾太夫が型通りに訊く。
「今度はいつ来てくんなます」
要するに「裏を返してくれるのはいつですか?」という意味なのだが、ここに来るのに三年かかっている。どう答えてよいのやら、感極まった久蔵は泣き出してしまう。
「ここに来るのに三年、必死になってお金を貯めました。今度といったらまた三年後。その間に、あなたが身請けでもされたら二度と会うことができません。ですから、これが今生の別れです…」
大泣きした挙句、自分の素性や経緯を洗いざらいしゃべってしまった。
それを聞いて今度は高尾が涙ぐんだ。
「お金で枕を交わす卑しいわが身を、三年も思い詰めてくれるとは、
なんと情けのある人・・・」
自分は来年の三月十五日に年季が明けるから、その時女房にしてくんなますか、と言われ、久蔵はふたたび感激のあまり泣きだした。
そしていよいよ、その三月十五日がやってきた。
本当に高尾がきた。
久蔵、「ウーン」と失神する。
その後、久蔵と高尾が親方の夫婦養子になって跡を継ぎ、夫婦そろって店を繁盛させたいと、手拭いの早染め(駄染め)を考案する。
「紺屋のあさって」と言われるぐらいに納期が守れないこの業界に革命を起こすその納期の速さと粋な色合いが江戸っ子に大ブームとなり、通称『かめのぞき』と呼ばれるようになった久蔵の店は大繁盛する。
・・・
●”遊女もの”にはめずらしい清々しいハッピーエンドの物語。
私もこの浪花節のCDを買ってきた。
国本武春古典浪曲傑作撰第二集に「紺屋高尾」が収録されている。
http://takeharudo.music.coocan.jp/takeharudo/takeharudou.html
●松下幸之助が誰の「紺屋高尾」を聞いたのか分からないが、国本武春は実にいい。浪曲好きの方はもちろん、そうでない方も音楽プレイヤーや車中で聞くとテンションはMAXになるだろう。
●若き幸之助は、この浪花節を聴いて「自分は久蔵どんのような潔い真似はできん。せめて久どんの何分の一かの心意気を持ちたい」と思ったそうだ。(「PHPビジネスレビュー 特別号」より)
これと決めたものに命をかけてやりぬく決意と心意気。そうした一途な心の前には不可能はないと気持ちを鼓舞したことだろう。
私も自分のマンダラ手帳に「久どんの心意気を見習う」と大書した。