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一山百文(ひとやま ひゃくもん)

昨日、三日間の東北出張を終え名古屋に戻った。今回の東北はいろんな意味で東北をじっくり味わうことができた。東北地方と政府の歴史的関係を知っておくことは今の東北関連ニュースを見る上で大切なヒントが隠されているように思える。

徳川幕府を倒した中心勢力は薩長土肥(薩摩、長州、土佐、肥前)の諸藩。いまでいえば、鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県である。

おのずと明治新政府の要職は、革命の元勲やその庇護にある者で占められることになった。その典型的な例が総理大臣で、初代の伊藤博文(長州)からはじまって、第18代寺内正毅(てらうち まさたけ、長州)まで33年間もの長きにわたって薩長土肥(この期間、土佐の総理は出ていない)から総理が出ている。正確にいえば、三条実美や西園寺公望など公家出身者2名も総理をしている。

そうした背景から明治政府は戊辰戦争で官軍と戦った藩を冷遇した

特に東北地方はそろって徳川への恩義を尽くしたために新政府から逆賊扱いされた。「白河の関所より北は、一山百文」とまで言われた。それほどまでに価値のない場所だ、という最上級の侮蔑ことばである。それを聞いて東北人の多くは「薩長なにするものぞ!」との思いを募らせたが、いかんせん権力を握っている相手には目だって楯つくことができない。

そこにあらわれた期待の政治家が原敬(はら たかし、はらけいとも呼ぶ)だった。原は岩手県盛岡市出身で徳川寄りの藩からうまれた最初の総理大臣になった。しかも爵位をもっていなかったことから「平民宰相」ともいわれた。原はあえて自らの雅号を「一山」(いちざん)と名乗った。「逸山」と書くこともある。「一山百文」から取っていることは明白で、原の反骨精神のあらわれであろう。当然、今も岩手の人たちにとって誇り高き郷土の英雄である。

原内閣は、日本初の政党内閣といわれ、原以降、日本の総理大臣は明治維新の元勲の影響ではなく、国会で決められるようになっていく。余談ながら、東北地方で総理大臣を輩出しているのは岩手県だけである。しかも、原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸と四人も出しているから驚きだ。

今回、私たちは盛岡の「原敬記念館」を訪問した。膨大な原敬日記の原稿など原にまつわる記念品がたくさん残されていた。我々一行は副館長にご案内いただいて敷地の一角にある原の生家に特別に上がらせていただき、それから記念館をじっくり1時間以上かけてご案内いただいた。原についてほとんど何も知らなかった自分が恥ずかしかった。鋭い質問をする長谷川さん(トラパンツ社長)は大したものだと思った。原についてもっと知りたくなったので関連の小説を教えてもらったが、「これが原のベストセラー小説だ」といえるものはなさそうであった。今後、どなたかがそれを書くのだろう。

「武沢先生、この店の味には絶対の自信があるのですが、味以外のことには目をつぶっていただけませんか」と阿部さん。(トラパンツ岩手支社長)

昼食会場の店の前にきてヒソヒソ声でそうおっしゃるので、こちらはどんなに恐ろしい接客が待っているのかかえって興味が湧いた。詳しく書くと店が特定されてしまうので書かないが、その店は盛岡冷麺がとても美味い店として有名だ。カルビ肉とスープ、ご飯、生卵、それに冷麺がセットになっている。卵をといて焼いた肉をそれにつけるのだ。カルビには下味がしっかりついているのでとき卵につけても全然負けていない。それをご飯に乗せていただく。合間に冷麺で口をサッパリさせる。そうした味と食感のハーモニーが絶妙なのである。「私の人生史上、最強の昼食です」と私は高田さん(トラパンツ岩手の美人事務局)に申しあげた。

肝心の接客も悪くない。店の外に出て「拍子抜けしましたよ」と笑いながら阿部さんをみると、「幸運にもその人がお休みでした」とのこと。幸運だったことにしておこう。

<明日につづく>