●たとえ状況が悪くても「すべては良い方向に進んでいる」と考えるようにしよう。そう信じている人のほうが、幸せになれる可能性が高まると思う。
その反対に、すべて絶好調!調子が良すぎてこわいくらいの時には、必ず将来、良からぬことが起こる、その種をいま蒔いているんだと、自分で用心するくらいでちょうど良い。謙虚さを忘れてはならない。
●私は一度、年末ジャンボ宝くじに当選したことがある。
20年ほど前のある年、普段は買わないので買ったことすら忘れていたが、正月休み明けにそれが判明した。
●実家の大垣から名古屋のマンションに戻る名神高速道路を走っていた。私が運転しながら、「そういえば宝くじ買ってたなぁ。コートの中に入っているから新聞で番号を確認してよ」と後部座席の家内に言った。
●調べ始めて2~3分、家内の身体が硬直し始めた。
やがてふりしぼるようなうめき声で「ッエッーッ!」と叫び声をあげた。
私は驚いてバックミラーで後部をみると、彼女は口を手で押さえ、顔を紅潮させている。
●私はてっきり一等の一億円が当たったのかと思い、次のサービスエリアに停車した。
動揺する家内から宝くじと新聞を受け取り、確認してみたら三等の百万円が当たっていた。何度も何度も番号確認したが間違いない。
●その後、ドキドキして無言で名古屋に戻った。
当選金が支払われる日になってすぐに駅前の第一勧銀に受け取りにいった。
「おめでとうございます」と行員に言われ、応接室に通された。スーツに身を包んだ紳士が現れ、相当くわしいアンケートに記入させられた。その間、彼らは本物のクジであることを確認していたようだ。
「間違いございません。真券でございました。ところで現金は物騒なので、口座に入れてはどうか」と言われ、口座を開設した。
●一ヶ月後、このお金は口座から消えてなくなっていた。
どこへ消えたのかは覚えていないが、全部使った。当時お金に困っていた弟に半分渡したような気がする。残りは何かに使った。
●浪費癖がついたのか、その年は仕事がブレーキになってしまった。
今思えば、運をそっちで使い果たしてしまったからか。たかが百万円の当選金とは言え、とんでもない確率なのだ。
たしか大垣市の全人口(約17万人)に一人しか当たらないような確率だったと記憶している。
●お金を拾ったとか、人気俳優に会ったとか、そんなことで自分の幸運ぶりを吹聴するのは考え物だ。
本当の幸運とは、例えばこんなことを言う。(以下、創作話)
●大正時代のある日、見習い工員をやっていた松下幸之助さんとその同僚は、二人で夜道を歩きながら帰宅途上にあった。
仕事の話をしながらも下を向いて歩いていた友人は、路上に落ちていた財布を拾った。中には今の価値で5万円相当のお金が入っていた。
彼は交番に届けず、臨時収入を得て大喜びした。
●松下さんは下を向いていなかったから、自分の前に落ちていた財布に気づかず蹴飛ばしてしまったのだ。
だが上を向いていたおかげで、ある民家の二階から親子の会話が耳に飛び込んできた。
●それは、ひとつの電源を奪いあう親子の言いあらそいだった。
電球の明かりで勉強していた娘。その電源を他のものにちょっとだけ使いたい母親との電源うばいあいゲンカだった。
●友人が財布を拾って喜んでいるとき、松下さんはピーンときていた。
二股ソケットのアイデアだ。財布を拾うかわりにアイデアを拾った松下さん。
さっそく翌朝、そのアイデアを勤務先の大阪電灯の上司に告げると、上司はあっさり拒否。
そんな訳の分からんものを作っているヒマはない、ということだった。
●困った松下さんはやむなく見習い工を辞め、自宅の土間を改造して、自分で二股ソケットを作り始めた。これが大ヒットし、やがて松下電器産業となり、今日のパナソニックになっていく。
★二股ソケット http://blog.kuribayashidenki.com/?day=20050709
●宝くじで百万円をもらうよりは、本業で毎日百万円もらえる会社を作ろう。いや、三等なんかより一等の三億円を毎日もらえる会社にしよう。
「人間万事塞翁が馬」というが、幸運におごるなかれ、不運をなげくなかれ。本当の幸運とは、あなたの本業の上に降りそそがれるものだ。