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首座法戦式

北京五輪出場めざし、昨日の香港に快勝して一歩駒を進めた反町ジャパン。快勝したとはいえ、監督も選手も反省しきりで、練習通りのことができていなかったことが不満らしい。
「勝った」という結果も大事ではあるが、良い結果が導き出されるプロセスが練習通りでなければ、次回も同じ結果が得られるとは限らないからだろう。

「練習で修正する」と試合後の反町監督。

練習といえば、昨日東京駅でJリーグ公式戦開幕を告げるポスターを見かけた。巻選手が真ん中にひとり立ち、その周囲にはたしかこんなコピーが。

「練習、練習、練習、練習、練習、練習、練習 それが僕らの毎日」

来る日も来る日も来る日も練習、という意味だろう。何の世界でもプロとは来る日も来る日も練習する人のことを言うようだ。

仏教の修行僧だって同じこと。来る日も来る日も修行なのだ。

永平寺の修行の中に、百日修行というものがる。その最初に、首座法戦式(しゅそほっせんしき)というものが行われる。
首座とは、禅寺で修業中の213人の雲水の主席にある者をいい、長老の次位に位置する。企業で言えば管理職だろう。

法戦式とは、仏法について問答する場であり、長老が雲水と首座のやりとりを聞きながら、首座にふさわしい人物であるかどうかチェックする。従って、新任管理者である首座にとっては最も緊張する儀式のひとつらしい。

首座が雲水の前に座り、弟子をもつ高僧にしか与えられない竹箆(しっぺい)をドンと立てつきながら「雲水たちよ、問答を投げかけてこい」と高らかに宣言し、法戦が始まる。雲水と首座のやりとりは古い日本語と仏教独特の用語が混じっているので、聞いていて難解だが、訳すと次のようになる。

雲:雲水を率いるには才覚がいる。いかにして導くか
首:茶を飲み、飯を食い、坐禅する。すべてを共に行うのみ
雲:なるほど
首:鐘が鳴れば法堂へ 魚鼓が響けば僧堂へ 寺にこもって修行するのみ
雲:我々も思いは同じ 共に精進せん
首:互いに助け合い、修行が無事に進むことを願う

別の雲水
雲:世界は心のあらわれというが どこに心はあるのか
首:お前の見ているもの そこに心はある
雲:なるほど それなら世界とは何だ
首:自分の心こそ世界だ
雲:ごもっとも
首:心を落ち着け坐禅しろ
雲:それでも迷うときはどうする
首:迷いも含めてすべてを受け入れよ
雲:なるほど

別の雲水
雲:何をもって大きな修行道場というのか
首:聞き返す 何が小さな道場か
雲:五百、七百、一千と僧が集まる所を小さな道場とはいいはしない
首:僧が多く伽藍が広くとも志ある者がいなければ無駄だ
雲:なるほど
首:僧が多いことを望むな 志の深さが大切だ

別の雲水
雲:首座として百日修行をいかに務めあげるか
首:率先して修行するのみ
雲:難問がおきたらどうするか
首:どんなことがあろうとも任じられたからには全うする
雲:無理をすれば傷を負うことにもなるが
首:強に対しては弱、柔に対しては剛でのぞむ
雲:無事に務めることを願う 修行に対する思いの丈を述べよ
首:我はただ一心に修行し、先達を見習いたいと願うのみ

リーダーとしてふさわしい心構えをもっているかどうかを確認する緊張感あふれる問答である。

新任管理者や新任経営者を迎えるとき、意志や覚悟を確認するこのようなやりとりをやってみてはいかがだろう。

(参考:NHK DVD『永平寺』)