昨日のつづき。
“To-Do の記録を提出することがプライバシーの侵害?”意外な言葉に頭が真っ白になり、なにも言えなかった浦澤専務は翌朝、ネットミーティングでこの件を相談した。司会の武沢は出席者の P社長に発言を求めた。
熱血漢の Pは浦澤専務の話を聞いてすでに顔を紅潮させていた。
「そのベテラン事務長を甘やかせてきたツケが回ってきたね。本来なら叱責すべき態度だが、それを許してきた会社とあなたが悪い」と断定した。
それを聞いていた V社長はなだめるようにこう言った。「誰が悪いか正しいかということより、To-Doリストがどういうものなのかがきちんと説明されていないんじゃないか。社員の役割って平たく言うなら To-Doをなし遂げるために会社に来てくれているわけだから、それをプライバシーだと主張している事務長は、To-Doを誤解している可能性があるように思う」
どの意見も真っ当なものだった。司会の武沢は浦澤専務にこんな質問をした。
「社員の”給料”は何に対して支払われているかという基本的なことが社内で意思統一できているだろうか。専務はどう思うの?」
すると浦澤専務は、「そうですねぇ、給料は社員さんががんばってくれていることへの対価だと思います」と即答した。
「がんばってくれているとはどういうことか?」と武沢。
浦澤:「それは、ですね……。毎朝きちんと会社に来てくれて、暑い日でも汗水たらして、仕事をしてくれて……、そうしたことに対する御礼が給料だと思います」
武沢:つまり努力に対して払われるのが給料だという考えだね
浦澤:はい、そうだと思います
武沢:この会社に身柄が拘束されて自由が制限されている我慢料が給料ならば、それは給料ならぬ「窮料」か「泣料」だね。好きなテーマに打ち込むために会社にくるのなら「究料」か「求料」だし、誰かを救うためなら「救料」でしょう。過去の実績や栄光にすがっていただく「旧料」もあれば、いつも誰かに急かされている「急料」や、叱られてばかりの「灸料」もある。さしずめお局様のような事務長は「宮料」をいただいているのかもしれませんね
武沢はそんなダジャレを連発して笑いを誘ったが、なかにはそれをメモしている人もいた。
給料とは本来、なし遂げた成果に対して支払われるものである。作業や行為に対して支払われるものではないし、ましてや存在に対して支払われるものでもない。そのあたりは、新入社員教育のテキストに書いてあるような基本的な事柄なのだが、意外におざなりにされている会社が多い。
特に内勤の事務部門になると「留守番」とか「買物」とか「電話番」「接客」などといった受け身の仕事も多い。しかし、事務部門にも攻めてもらわねばならない。戦う総務・経理・庶務・人事であってほしい。たとえば、攻めのコストダウンによって利益アップ、経理の精度とスピードを上げて経営チームに上質な情報を提供すること、資金運用や資金調達の拡大、さらには採用、人事、教育など戦略的な総務人事など、攻めるテーマは山ほどある。経営計画が作ってあれば、そこに取り組み課題がいくつも見つかることだろう。
昨日の記事を読んで中国・広州でコンサルタントをされている林さんからこんなメールを頂戴した。
「仕事の目標管理をするために仕事を作業に分解した物が、To-Doリストであると言う認識に立つと、『年賀状の当選番号を調べて郵便局に行く』という作業も、当選品を社員に分配し福利厚生に役立てるという意義があるのかもしれません。一見、目的意識が低い様に見えますが、表現の問題なのかも知れません。彼女は郵便局に行く用事を一度に3つこなそうとしており、自分の作業効率を上げる事を考えてTo-Doリストを活用している様にも考えられます」
なるほどコンサルタントらしく冷静にこのケーススタディを分析されている。
《このケースの結論》
1.社員に支払われている給料はなし遂げた成果の配分である、と考え社員にもそう伝えよう。拘束されている時間数 × 時間
単価という発想で仕事をしてもらっては困る。社員が働く時間の長短は問わない。なし遂げた成果に対して一定のパーセ
ンテージのフィーが支払われる。それがプロサラリーマン(幹部以上)の報酬概念である。
※アマチュアは時給(存在給、作業給、努力給)である。
2.かといって「結果さえ出せばプロセスは問わない」という訳ではない。結果の出し方にまでこだわりがあるのが真の社
長。従って、何を目的にどのように仕事をしようとしているのか事前確認するのは当然のことであり、To-Doリストを作
ってもらう事や、その中味を確認することは当然すぎるほどの行為である。それを恐れていては会社経営などできない。
そうした確固たる認識で社員と対峙しよう。当然その刃は自分にも向けられる。