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軽率をおそれない

軽率であることをおそれないでいこう。

今年もこの週末でおしまいだ。そう思うとますますあわただしくなって気持ちが焦ってくるから不思議だ。普段とおなじ一日、同じ一時間なのに。

その勢いをかって先週、「よし今からテレビを買うぞ!」と決めて電気店に行き、その20分後にはパイオニアのプラズマテレビと東芝DVDレコーダーの申込書にサイン。その二日後からハイビジョン放送を楽しんでいる。

その何ヶ月も前から「買おうかな、どうしようかな?」と思い、雑誌や友人から情報を集めていたのだが、決めたらエイヤで決まるものだ。大差がないことに悩んで時間を使うのをやめよう。

30代までの私は、周囲から何を言われても「時間が最も貴重な資源である」という気持ちにはなれなかった。なぜなら、結構自由になる時間があったからだ。でも今は違う。時間がもっとも大切な資源だ。

時間を無駄にすることを避けたいものだが、最も無駄な時間の使い方ってどんなものだろうか?
遊ぶこと?遠回りすること?さぼること? すべてノーだと思う。

逡巡やためらいで始動が遅れることこそ最もムダな時間ではなかろうか。日本では「下手な考え休むに似たり」ということわざがあるが、考えるふりをして実は決断を先延ばししているだけの時がある。決断する前の思索を楽しんでいるのかもしれない。ベストな決断をしようと思うと時間を失う。

偉大な作曲家たちは、意欲がわいたから作曲に取り組んだのだろうか?答えは「否」だ。
ベートーベン、バッハ、モーツァルトは、毎日毎日、来る日も来る日も、作曲中の作品に取り組んだ。彼らはやる気やインスピレーションがわくまで待って、時間を無駄にするようなことはしなかった。作曲に取り組んだから意欲がわいたのだ。

イタリア芸術の天才といわれたミケランジェロは、「あなたはどうしてそれだけたくさんの彫刻作品を作れるのですか?」と聞かれたとき、次のように答えている。

「彫りはじめるからです。彫ることは彫りだすことです」と。