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下流意識と値決め

気のせいだろうか? あるいは、たまたまだろうか?

新幹線のグリーン車に乗る人が増えたように思う。今回の東京往復でも行き帰りともに臨席が空かなかった。こんなことは記憶にない。

これもひょっとして景気回復のきざしの表れかもしれないと思ってしまう。

また、知人のある会社は今年に入って自社製品の価格を大幅に引き上げた。
何パーセントという値上げ幅ではなく、何倍いや、何十倍である。
当然、売上げ数量は減った。もちろんそれにあわせて売り方もサービスも変わり、客層も変わった。
そして、トータルの結果は値上げ作戦大成功である。

『下流社会 新たな階層集団の出現』(三浦 展、光文社新書)が話題になっているが、この本はかつての中流意識の表れ「いつかはクラウン」という価値観に対し、現代はいつのまにか「毎日百均(百円均一ショップ)」という下流意識に流れているという。

単に低所得者を下流というのではなく、志の低いニート、フリーター、高齢独身者的な生き方に警鐘をならしているのだ。

『下流社会 新たな階層集団の出現』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334033210/ 


百均に行くと、100円でこんなものが買えるのかとうれしくなるが、経営者が百均に感動し、マニアになるのはいただけない。

付加価値を創造し、高い値段でもお客さんが飛びついて奪い合うように買っていくようなものを作ることを忘れてはならない。安売り哲学ばかりが哲学ではない。高売り哲学だってどんどん成功すべきだ。

昨夜、ある会合で一時間20万円を請求する経営コンサルタントにお会いした。
この方は、高級スーツに身を包んだ辣腕弁護士風のおじさんではない。
三十路に到達するや否やといううら若き女性なのだ。

また別の男性コンサルタントは、家族との約束で「週に4日以上働かない」と決めた。それ以来、時間意識が高まり、週に6日以上働いていたときよりも大幅に収入を増やしたという。

「値決めが経営です。だから値決めはトップ自らが行うべきもので、その経営者の哲学や器が反映されるものです」とは京セラ創業者・稲盛さんの言葉。

市場の現状に合わせてばかりいると、市場相場以下の価格しか設定できなくなる。価格設定をないがしろにせず、我が哲学や器のもとで設定されるのが価格なのだ、と認識して今の料金体系を見直してみよう。