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打ちのめされた建築家

『打ちのめされるようなすごい小説』という本があるが、打ちのめしてくれるのは書物だけではない。大自然の光景だったり、感動的なスポーツの試合だったり、芸術や音楽、映画だったり、特別な体験なども人をガツーンと打ちのめしてくれる。

今日は打ちのめされた若き建築家のことを書いてみたい。

ある若い建築家が大学を主席で卒業しようとしていた。大手建築会社への入社も決まり、意気揚々である。卒業作品として近未来的な図書館を設計した。本人は「教授も驚くに違いない」と鼻高々の作品だった。

教授室に呼ばれた若者は、細かい点をいくつか指摘された。「ここの部分の高さが 180ミリで段差が 40ミリあるのだよね。それが続くわけでしょ」「はい、そうです」「では、実物の大きさでそれをここに書いてみるよ」「……」「このサイズだよね。これって本当に実用的と言えるだろうか?」「(あ、このサイズでは使えない)」

しかし若者は、先生の細部確認のあとには、きっと褒められるに違いないと思っていた。ところがこうした細部の指摘が一時間経っても二時間経っても終わらない。

「この先生はいったい僕に何を言いたいのだろう。ケチを付けたいだけだったらそう言ってくれればいいのに」怪訝な心持ちになった。

結局、午後 3時に始まった教授とのミーティングは 4時間続いた。一度も褒められることはなく、細部の矛盾を指摘され、そのつど苦しい説明や言い訳をすることに終始した。やがて若者はうなだれていった。

6時をまわると、若者の目に涙が溜まってきた。目の疲れではない。自分が悔しかったのだ。心のなかで「先生、すみません。先生のおっしゃりたい意味は充分わかりました」と訴えたが、先生は許してくれなかった。そして 7時を過ぎたとき先生は「ぼくの真意が分かったかい?」と聞いた。「はい、わかったつもりです」「なにを分かったのか言ってごらん」「要するに、自分は甘かったということです」「甘かった?それはどういう意味だい?」「中途半端な気持ちで図面を書いた、ということです」「う~ん、違うんじゃないか。中途半端なんかじゃない。むしろきみは一生懸命になってこの作品を作ったはずだ。誰にも負けない思いで仕事をしたのは分かっている。だけど、動機が間違っている」「動機?」「そう、動機だよ。建築家は情熱が命だ。施主や利用者に喜ばれたい、地域社会になくてはならない建物にしたいという情熱があれば、細部まで愛が行きわたるはずだ。君の作品には、自分の器量やセンスをアピールする情熱はあっても、施主や利用者へのそれがない。あえて僕は 4時間かけてそのことを君に伝えたかった。嫌な気持ちをさせたかもしれないが、建築家の情熱というものを片時も忘れずに社会で羽ばたいてほしいというのが僕からきみへの最後の授業だ」

若者は打ちのめされ、先生の前で無防備に泣いた。

あれから 40年経つ。若者はその分野を代表する建築家になっている。今でもお酒が入ると、その話を若いスタッフに聞かせる。その表情はなぜか誇りに満ちているようにみえる。

<明日は科学者の打ちのめされる体験>