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さらに与えられる

大東亜戦争集結から60周年。

60年もたって今さら日中間で共同での歴史研究もないだろう・・、とお思いの方も多いだろうが、人類の歴史をみたとき、60年は決して長くない。

新約聖書に出てくるマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという四人が書いた福音書だって、キリストの死後数十年たってからのもの。聖書はざっと2,000年前に書かれているので、今と違って筆記用具もカメラもない時代なのだ。それに比べれば、現代の60年をふりかえることは、比較的容易なことに思える。

さて、マタイの福音書とルカの福音書にこんな話が出てくる。

以下、キリストが語ったたとえ話をルカの福音書19節12章以降のくだりから要約してご紹介したい。

・・・
ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を受けるためである。彼は10人のしもべを呼んで、一人1ミナ(今日の百万円くらい)を与えて言った。
「私が帰るまでこれで商売しなさい」
彼が王位を受けて帰国した。最初のしもべが現れて言った。
「ご主人さま、あなたの1ミナで10ミナを儲けました」
主人は彼に言った。
「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、10の町を支配する者になりなさい」
二番目の者が来て言った。
「ご主人さま、あなたの1ミナで5ミナ儲けました」
主人はこの者にも言った。
「あなたも5つの町を治めなさい」
もう一人が来て言った。
「ご主人さま、さあここにあなたの1ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。あなたは計算高いきびしい方ですから、恐ろしゅうございました」
主人はそのしもべに言った。
「悪いしもべだ。私はあなたのことばによってあなたをさばこう。あなたは私が計算高くきびしい人間だというのか。だったらなぜ私の金を銀行に預けておかなかった。そうすれば、私は帰ってきたときに利息と一緒に受け取れたはずだ」
そしてそばに立っていた者たちに言った。
「その1ミナを取り上げて10ミナ持っている人にやりなさい」
すると彼らは
「ご主人さま、その人はすでに10ミナも持っています」
その人は言った。
「だれでも持っている者はさらに与えられ、持たない者からは持っている物まで取り上げられるのです」
・・・

この物語からキリストは何を伝えたかったのだろう?あなたはどうお思いか?
この話は富の肯定、特に利子を得ることの肯定とみる人たちも多いが、私はそれだけではないと思う。

「持っている者はさらに与えられる」
「持たない者はからは持っている物まで取り上げられる」

私たちがもっているものは何だろう? お金だけではないはずだ。
時間、体力、人的資産や知力や気力、資金などの資産を総動員すればそれらはさらに与えられるということだろう。
一方、その逆に大切な資産を出し惜しみし、ふろしきにしまっておくようなディフェンシブな生き方では、やがてそれらも取り上げられていくということだ。

いかがだろう。