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正規兵と野武士

来年のNHK大河ドラマは『功名が辻』(司馬遼太郎原作)に決まっている。
愚直な槍働き一筋、真心一筋の不器用ゆえに、さしたる取り柄も功名もないと思われていたが、土佐一国24万石の大名となった山内一豊。
彼が、主君を代えながらも戦国を生き抜き、大成した陰には、妻・千代の類まれなる「励ます力」があったと言われる。
一豊を演じる上川隆也と千代の仲間由紀恵がどのように私たちを楽しませてくれるだろうか。

ところで、愚直者が大成するとはどういうことだろうか。
まずはこんな小説から引用。
・・・
それは「大成」ということである。彼は、よくこの言葉を使った。
「新聞記者として大成するには、だな」
 といった調子である。どういうことであろうか。おのれの技術を磨き、新聞記者として大成するとは一体何に「成る」ことなのだ。社会部長になることだろうか、編集局長になることだろうか。それだとすると、毎日抜く抜かれるの勝負の場にたってこれほどまでに精魂を傾け技術を磨いたところで、その行きつく先の”大成”というものが、たかが社会部長や編集局長では目標があまりにも卑小でみじめすぎはしないだろうか。
(中略)
 ついに私は訊いてみた。
「その”大成”ということは、具体的にはつまり何に成ることでしょう」
彼は、その間に、ウン?・・・と瞼をあげてしばらく私をみつめていたが、やがて
「つまり現在の俺のようになることだ」
と云い切った。瞬間(あっ)と叫びたいような気持ちだった。彼の人生の生き方のきびしさに気付かされたのである。
・・・

これは同じく司馬遼太郎が書いたものだ。彼が新聞記者時代に本名福田定一の名で書いたサラリーマンエッセイ『二人の老サラリーマン』の一部である。現在絶版だが、「文藝春秋5月号ビジネス臨時増刊号」に全文記載されている。

この小説で「現在の俺のようになることが大成だ」と云いきった老サラリーマンは松吉淳之助という。
松吉は、大正二年に国民新聞に入って以来、朝日新聞、報知新聞、時事新報などを経て最後の京城日報にいたるまで、5回ほど社歴を変えてきたという設定だ。戦国時代の武芸者のように、自らの才能を愛し、自分の才能を賭けて記者魂を養ってきた古きよき新聞記者だ。

松吉は小説のなかでこう嘆く。
「その新聞記者にもよ、労働基準法ちゅう有難い法律が施かれるようになったもん。つまりサラリーマン界の正規兵でなく野武士じゃった新聞記者も国家のおかげで正式の武士にとりたてられるようになったもんじゃ。これからはちがった型の新聞記者がふえてくるじゃろう、腕を磨くよりも出世を心掛けるような、な・・・」

サラリーマンというものを真剣に考えるとき、経営者として必要な新たな手だてが見えてくるよう思う。私たちは、サラリーマンの中に二種類の人種を見分けることができるのだ。

・労働基準法に守られた正規兵としてのサラリーマン(出世志向または安定志向)
・野武士として自らの武芸を愛するサラリーマン(職務志向、プロジェクト志向)