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魔法のフライパン

来年一年分の売上げがすでに確保済みの会社が三重県にある。いや、再来年も12ヶ月分を確保済み、さらにはその翌年の上半期までの受注を確保してあるのだ。
この会社、一個一万円もするフライパンを作ってバカ売れ。入手難で、今申し込んでも手に入るのは二年半後になる。ネットオークションでは、このフライパンが定価の三倍でやりとりされているとも言う。この「魔法のフライパン」を製造販売しているのは、三重県桑名郡の錦見鋳造株式会社(錦見泰郎社長 44才)だ。

以下、12月9日、JMCA(日本経営合理化協会)主催の「売れてオイシイ高級品、上手な作り方売り方研究会」のゲスト講師の一人として登場された錦見社長の話しをかいつまんでご紹介したい。

今からちょうど10年前までは、同社もごくごく普通の下請け鋳物会社だったらしい。“キロ幾ら”の世界が鋳造ビジネスだ。錦見社長が専務だったある日、元請け企業の某社から通知を受けた。
「来月から価格を30%引き下げるように」

「えっ、とんでもない。今の価格でも低収益にあえいでいるのに、更に3割引きなんて・・・。うちは出来ません」と口走った。

すると、元請け担当者は冷たく言った。
「へぇ、出来ないのね。錦見さん、おたくの代わりはいくらでもいるのだよ。最近は中国でも良いものが作れるしね」と言った。

その屈辱をバネに、「代わりがいない」と言われるような会社になってみせると決心した。よし、どこにも負けない鋳造技術をもって、オンリーワン企業になろうと肉厚1.5ミリのフライパン開発に着手した。

定時の勤務時間ではいままで通りの下請け仕事をこなした。幸い、錦見社長を支援してくれる取引先が一社あった。懸命にその会社の仕事をこなした。
そして、夜になってフライパン作りをする。普通のフライパンは4~5ミリの肉厚がある。それを1.5ミリにするための血のにじむような苦労が始まった。
錦見社長本人の言葉を借りれば、「自分が鋳造になって鋳型のなかを通っていくような気分で開発した。気づいたら夜の12時を回っていたということなんかザラだ。気ちがいじみていて、まさに狂気でした」と笑う。

1.5ミリの開発成功の手前で、まずは2ミリのフライパン開発に成功した。その段階で、知人のシェフにフライパンを評価してもらったという。その評価結果が、
「これはフライパンの革命だ。でもちょっと重い」

料理を自分でしない錦見社長は、なにが「革命」なのかはこのときわかっていない。実は、肉厚に挑んだおかげで熱伝導効率が高まり、シャキシャキの野菜炒めや、パラパラのチャーハンが家庭のコンロで作れるということがわかった。つまり一流シェフの味が普通の主婦でも出来るということだ。

だが錦見社長の頭から離れないキーワードは、「でもちょっと重い」だった。開発者魂に火がついた。「あと0.5ミリ薄くし、軽くしよう」と開発テーマを設定。やがてそれをもクリアする。

錦見社長のそうした奮闘ぶりをみて、文才あふれる奥様が「日経ビジネス」誌にFAXを送信。今でいうニュースリリースだ。やがて同誌に取り上げられてからは、全国から引き合いが殺到。さらにネットでの注文を受け付けてからというもの、お客の順番待ち行列が長引く一方だという。

それにしてもフライパン一個で1万円とは驚きだ。ホームセンターでは980円、こだわりの調理用フライパンでも2~3千円程度だというのに。
値上げしたらどうですかと提案を受けることもあるらしい。だが、錦見社長曰く、
「当社の代わりが幾らでもいると言われたことへの反発で始めたので、代わりはいないということが評価された今、欲ばって利益を増やそうとは思わない。それよりも、どうやって受注をこなすかで精一杯だ」

セミナー受講者からつぎのような質問が出た。
「マネをする同業者が表れたとき、どうしますか?」

錦見社長は、「二年半というお客の順番待ちが少しでも解消されるのなら喜ばしい」と笑いながら、自信に満ちてこう付け足した。

1.5ミリのフライパンが技術的に開発できるかどうか疑わしい。きっと他社では出来ないと思う。一時的に作れるだけじゃだめで、量産製品として出来ることや、歩留まりの向上などコスト的にも成立させられるとなると至難の業だ。そうした会社が表れるとは思えない。

肉厚3分の1への挑戦。そうした鋳造技術を他の製品にも応用してみないか、という質問が出たとき、錦見社長の表情が緩んだ。
この技術が、フライパン以外にもいろいろな可能性があるということを語っている錦見社長の表情は子供のようでもあった。

錦見鋳造株式会社 http://www.nisikimi.co.jp/index.html