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社会性に目ざめる瞬間

心の底からへこんでいる時に、タイミングよく励まされたり助けられたりすると、普段の何倍もありがたさが身にしみる。そのような経験をしたことが、あなたもきっとあるだろう。

私の場合は、メルマガ創刊二ヶ月半でそういう経験をした。岐阜県大垣にいる母親が「大腸癌で緊急入院、今夜が峠」という連絡を受けたとき、何も持たずに大垣へ向かった。
2000年10月17日号の編集後記欄で読者の皆様にこう記した。

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【おわび】
明日のマガジン(10月18号)は、お休みすることになりそうです。また、本日(10/17)は、ホームページの更新ができそうにありません。
実家の母の健康がすぐれず、一両日帰省しています。
どうか、ご容赦下さい。      武 沢 信 行
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結局それから一週間、大垣の病院で弟や家内と交代で看病し、ようやく落ち着いた気分で名古屋の自宅に戻ったときにはパソコンから一週間も離れたままだった。

日刊メルマガを書くという生活が、今ほどは体に浸透していなかったのだろうか。「日刊メルマガを明日から復活なんてムリだ」と内心思っていた。せっかく読者が2,700人もいるのに・・・。

メールチェックしたら、沢山のメールを受信しだした。そのメールの大半が読者からのメールだった。
「私も母が病気でしたが、今ではすっかり快方し・・・」
「去年私の母は他界しましたが・・・」
「実は今年、父が心臓病で入院しましたが、幸い・・・」
家族の病気と戦いながらも懸命にがんばっているビジネスマンやビジネスウーマンたちから「『がんばれ社長!』もがんばれ!」というエールが届いた。

そのとき、「がんばれ社長!」は社会性に目ざめた。

翌10月24日号の「生産性革命」という原稿は、全力をふりしぼって書いた。これが書けたから、その後も書けた。
書かせた原動力は、武沢のメルマガから、みんなのメルマガという自覚の変化だ。

過日、国会議員をめざして奮闘中のある政治家志望の男性と対談した。その男性K氏は、前回の衆議院選挙で大物議員の後継者に事実上の一騎打ちをいどんだ。
K氏は、「志ある政治家、志ある日本人、志ある国家」というようなスローガンでがんばったが、力及ばず落選した。

K氏は、うちひしがれた。金も使い切った。応援者してくれた支援
者や何万票もの投票をしてくれた有権者に申し訳ない。何日たっても尾羽打ち枯らしていたK氏のもとに、近所の農民の方やサラリーマンの奥さんが、「Kさん、若いんだから次があるじゃろう」と大根やねぎ、お米などを差し入れてくれたという。
食べ物がありがたいのではなく、その気持ちのありがたさが芯まで沁みた。

K氏は、「僕が議員になるのは、僕のためじゃない。こういった優しい人たちや、その子孫がよくなるために僕が議員になるんだ」と気づいたという。公僕という意味を体で知った瞬間だろう。

企業経営もある意味、公僕だ。客僕であり、社員僕であり、地域僕でもある。

私も恥ずかしながら時々脱線はするが、「がんばれ社長!」はこれかもみんなのメルマガであることを忘れずに、がんばりたいと思う。