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会津若松を訪れて

先週末は福島県会津若松市で非凡会があった。

会津磐梯山と猪苗代湖からほど近い会津若松市へは、東京駅から東北新幹線で郡山まで105分、そこから磐越西線の快速に乗りかえて71分、合計約3時間を要する旅だ。

この一年半、東北6県すべてを管轄する「東北非凡会」の幹事を、山形の松田さんご夫妻がつとめて下さった。
今後は、人気急上昇中の「魔法の質問」ブログやライブに専念するためにも、松田さんの担当する非凡会は山形県と宮城県だけとなり、他の4県は今のところ未定だ。

松田さんのブログ 「魔法の質問」 http://www.mihiro.jp/mq/

江戸時代末期、幕府が反対勢力の弾圧を目的に「京都守護職」を設置した際、会津藩の松平容保公に白羽の矢があたる。それが後に新選組につながり、白虎隊の歴史にもつながっていく。

戊辰戦争でも最後まで抵抗したことから「朝敵・賊軍」と呼ばれ、明治新政府からも冷遇を受けたという会津若松。あれから130年以上たっているが、いまでも旧官軍側、とりわけ長州とはしっくりしていない。

平成8年頃の話。
会津若松市は、民間団体を中心に「長州と和解」しようではないかという動きがあった。その一環事業として、「会津若松文化振興財団」が、会津と萩の交流を題材にした演劇「早春譜」を上演したという。

この「早春譜」は、会津の旧家を舞台にした現代劇で、大の薩長嫌いの当主のところに、 孫娘が婚約者を連れてくる。その青年が長州・萩の出身と分り、祖父は猛反対する。 が、やがてその祖父と青年の祖母もかっては恋人同士で、出身地にこだわって分かれた過去が明らかになり、最後は結婚を許す、というストーリー。

この演劇に萩市長を呼んだ。当然のことながら「私人」の立場で訪れた萩の市長は、当時の若松市長と観劇後20分程の懇談を持ったが、とうとう最後まで握手はしなかった。
過去においては、長州との和解を訴えた市長候補が落選した事実もあり、懇談終了後、若松市長は記者団に向かって、「行政レベルの和解ではない」と念を押している。
ことほどさように歴史は風化していない。

忠臣蔵から300年たった今でも吉良町と赤穂市が円満な関係にはないと聞いている。お互いが友好都市にはなっているが、市民感情として、先祖や郷土がけがされた恨みは、簡単に消えるものではない。

来年で第二次大戦後60年を迎える。60年・・・、赤穂浪士や戊辰戦争に比べればまだまだ若々しい記憶ではないか。
巧みに日本を戦争におびき出し、最後は長崎・広島に原爆を投下したアメリカとアメリカ人を恨む日本人は少ない。むしろ、世界のどこよりも友好国であるのはなぜだろう。

私はこう見る。
「一時的な事件や戦争は風化しやすいが、継続的な政策はなかなか風化しない」

アメリカの場合、終戦後は一貫して日本をパートナーとして遇してきた。無理難題やいちゃもんもつけるが、基本的にはお互いに日米同盟をしっかり守ってきた。

それに比べ、赤穂義士の物語が上演されるたびに赤穂の人々は悲しみ、吉良の人も悔しい思いを味わう。戊辰戦争後の政策は、会津藩にとって大変つらい仕打ちが続いた。戦争とその敗北よりも、その後の政策の方にひとびとは恨みを強くいだくようだ。