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フレーム(炎)と火あぶり

小学生の女児が同じ学校の友達を殺害するというショッキングな事件がおきた。被害者のご家族の方々にお悔やみを申し上げたい。

さて、この事件の原因はホームページでの悪口だという。もともとホームページ作りに関する“先生役”と“生徒役”でもあり、チャット仲間でもあった二人がなぜこのようなことになるのか。結果的には、ネットワーク用語でいう「フレーム(炎)と火あぶり」(詳細は後述)の関係になってしまったようだ。

私も「パソコン通信」全盛のころ、ある会議室で大人げない喧嘩をし、三日三晩アツくなったことがある。当時40才という分別盛りの大人がこのありさま。しかも、喧嘩の原因は、「この世に最も害悪な職業は経営コンサルタント」という経営者の発言に対してだった。

今、思えばどうでも良い話題だ。この書き込みをした人は、きっと何か苦い経験をしたに違いない。だからその内容を聞いてあげるべきだったかもしれない。だが、私は猛然と反撃し、経営コンサルタントの必要性を語り続ける愚を犯した。

コンサルタントという職業をけなされただけでカッとした私が、当時、もし自らを名指しで攻撃されることをネットでやられたら、どうなっただろうか。
個人攻撃に抵抗力をもたない普通の小学生なら参ってしまうに違いない。
再発を防止するためにも、ネットで人を攻撃しない、されても相手にしない、という教育をほどこす必要があろう。

いくつかのソフト企業から、小中学校向けのネット教育教材が発売されている。CDやDVDでの自己学習とメールを使ったネット教育は、こんな概要だ。

・クラス1.
  先生と親と子供の三者間だけでメール送受信を行うことができる
・クラス2
  一定の学習と経験を積むと、クラス内全員でメール送受信ができ
・クラス3
  さらに学習が進むと、同一学校、同一学年内でメール送受信がで
  きる
・クラス4
  同一学校内でメール送受信ができる
・クラス5
  姉妹校や提携校の生徒、先生とメール送受信ができる
・クラス6



・・・etc.

このようにして、徐々に徐々に学習と経験を積み重ねていって、最終段階ではじめてインターネットの世界に入ることができるようになる。

このような、学校におけるネットワーク教育が必要なほか、企業でもインターネットを使ったコミュニケーションのガイドラインを設け、定期的に教育を施す必要があるだろう。


『ネチケットガイドライン』というものがある。これは、インターネット技術特別調査委員会(IETF)のネットワーク責任利用作業部会成果著作物であり、ネットワークを使ったコミュニケーションのルールを教えている。
詳細は以下のサイトをご覧いただくとして、いくつか興味深いところを抜粋してご紹介しよう。
http://www.cgh.ed.jp/netiquette/rfc1855j.html#2_1_1

・・・
・あなたが暗号化装置(ハードウェアかソフトウェア)を使っている場合を除き、インターネット上のメールは安全ではないものと考えておかなければなりません。あなたが葉書に書かないようなメッセージ〔クレジットカード番号やパスワードなど他人に知られたくない個人情報や非公開情報など〕は決してメールに含めてはいけません。 

・あなたが複製する文書については、その著作権を考慮に入れましょう。ほとんどすべての国では著作権法が制定されています。 

・あなたが受け取ったメッセージを他人に転送したり、再投稿する場合には、元の言葉遣いを変えてはいけません。

・よい経験則:送信する内容には慎重さを、受信する内容には寛大さを心がけましょう。たとえ挑発されても、激情的なメッセージ(これを「フレーム(flames;炎)」と呼びます)を送ってはいけません。一方、もしあなたが火あぶりにあって〔非難されて〕も、驚いてはいけませんし、フレーム・メッセージに対しては応答しないのが賢明なやり方です。 

・返事をするときには、cc:の宛先に気をつけましょう。メッセージが1対1のやりとりになるときには、他人を巻き込み続けてはいけません。 

・声の調子を表わすためにはスマイリー(顔マーク)を使いましょう。ただし、控え目に。ただし、スマイリーをつけておくことで、受け取り人があなたの言うことに満足するとか、ほかの侮辱的な言葉を拭い去る効果があるなどと仮定してはいけません。 

・1行の長さは、半角65文字未満に制限し、1行の終わりには1つの復帰改行(キャリッジ・リターン)を入れましょう。 

・メールには、メッセージの内容を反映するサブジェクト(題名)ヘッダをつけなければいけません。 

・署名をつける場合、署名は短くしておきましょう。経験則では4行以下です。多くの人が、1分毎に接続料金を支払っていることを忘れてはいけません。あなたのメッセージが長ければ長いほど、彼らはたくさん支払いをしなければならないのです。 
・・・

当たり前のことが並んでいるように思えるのだが、当たり前の水準を確認するのも教育の大切な役目なのである。

今回の事件を教訓にし、私たちは学ばなければならない。