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堀井学物語

(文中、敬称略)

先週末の「札幌非凡会」が異様に盛り上がった。

堀井学(Horii manabu 32才)、冬季五輪3大会連続出場、世界大会通算27回優勝を誇る元スピードスケート選手が、友人の誘いで札幌非凡会に参加した。

堀井は、98年の長野五輪ではフラップスケートに対応できず惨敗した。だが96年、97年のワールドカップでは総合優勝を果たしている他、97年の世界選手権でも優勝している。「また堀井か」と思えるほど堀井無敵時代があり、長野五輪ではもがき苦しむ姿があり、その後、また世界チャンピオンに返り咲いているのを私は知っていた。

そんな堀井が最前列に座っている。せっかくの機会だ。急遽、お願いして20分間、体験談を語っていただくことにした。その内容が実に感動的で秀逸。どの程度、私の筆力をもってお伝えできるかと、もどかしく思うが、以下は、私の記憶に残った堀井講演のハイライトだ。

・・・

期待された長野での敗北。正直、「もう辞めよう」と思った。だが「このまま終わっちゃダメだ、もう一度勝負したい」と決意し、3年後の01年W杯ヘルシンキ大会で世界チャンピオンになれた。そのことが自分の誇りとなり、今の仕事の原動力になっている。またその自信が、後進たちに向かって、「夢と目標を持て、そして決してあきらめるな」と講演などでお話をさせていただく力にもなっている。

おじいちゃんっ子だった私は、幼児体験でおじいちゃんに基本的な考え方を叩き込まれた。

初めてキャッチボールをやり出したときには、
「学(まなぶ)、プロ野球選手をめざせ」
「おじいちゃん、そんなのムリだよ」
「一生懸命やればなんでもできるようになる」

小学生のある時期、ものすごく太り始めたときには、
「学、おまえはやっぱり横綱をめざせ」
「おじいちゃん、ムリだよ、あんなに大きくなれないし、強くもなれない」
「一生懸命やればなんでもできるようになる。同じ室蘭出身の大関・『北天佑』や近所の有珠郡壮瞥町(そうべつちょう)からは『北の湖』という大横綱が出ているじゃないか」「わかったおじいちゃん、僕は横綱をめざすよ」と、素直に横綱を目指し始めたときもある。

そんなある日、通っていた小学校にスケートがとても早い子供が転校してきた。
その子に早い理由を聞くと、「少年団に入って練習している」という。
「僕も少年団に入ってスケートで早くなりたい」と思って家族に話すと、まずはスケート靴を買うお金がない、と言われた。そこでおじいちゃんに相談すると、

「学、スケート靴はおじいちゃんが何とかしよう。そして将来、オリンピック選手、日本代表をめざそう」
「おじいちゃん、むりだよいきなり」
「一生懸命やればなんでもできる」

小学校卒業のときに書いた作文「ぼくの将来のゆめ」は、オリンピック選手になりたい、黒岩選手も橋本選手もみんな努力してオリンピック選手になったので、ぼくもがんばってオリンピック選手になりたい、と書いた。それはおじいちゃんの教えの影響だった。

作文の内容については、友達からも先生からも誰からも何にも反応がこなかった。おじいちゃん以外、誰も信じていなかったのだろう。

「スケートなんか辞めよう」
記録が伸び悩み、焦りを感じる自分に向かって、「おまえはフォームが柔らかく、良いバネをもっている。きっと良い選手になる」と、いつも励ましてくれた中国の恩師も大変すばらしかった。

そして、とうとう高校進学について先生と親との三者面談の時期がきた。

進路指導の先生は「堀井はFランクだから行ける高校はここかここだ」という。でも私は、全国からスケートのエリートが集まる「白樺学園」に入りたいと言った。
母はそれを聞いて、「あんた何をばかなこと言っているの、あんたに行けるわけがない。」と激しく怒った。

父にお願いしても、父は、「学、スポーツでメシは食えん」。
その瞬間、私の夢というお皿は、こなごなに砕け散ったように思えた。

だが、その後ろ姿をおじいちゃんが見ていて、
「おまえは親の反対にあって夢をあきらめるのか?」という。
「わかった、おじいちゃん。もう一回父にかけあってくる」

とうとう父も根負けして、
「わかった、学。おまえがそこまで言うなら行かしてやろう。ただし、条件がある。次の大会で16位以内に入いることができたら白樺学園を受験してもよい。」

うれしくなって母にそれを報告に行くと、「おまえが16位以内に入れるわけがない。もしそんなことが出来たら、ハダカで逆立ちして町内一周したる。」と言った。結局、次の大会で百分の16秒差で16位入賞を果たしたそのレースで、一番苦しいときに頭に浮かんだのは、「お前にはムリ」という母の顔と声だった。

「ちくしょう、絶対に入ってやる」とがんばった。
母は、後日、お前の神経を逆なですることで奮起を期待したのだ、と笑っていた。母にも感謝しなければならない。

とにかく私は両親との約束を果たし、白樺学園を受験させてもらえることになった。そして、無事、入学試験に合格した。

ところが入学式に行き、スケート部の集まりに参加して愕然とした。日本全国から早い選手が特待生として集まっている。自分より早い女子選手までいた。
どうやら試験で入ったのは自分だけのようだ。周りはみんな自分より早い。すごい所へ来てしまったと焦り、不安になった。

・・・

<明日につづく>