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コミットメントの信頼度

師走になると、毎年好例の行事がある。

「今年の10大ニュース」と「来年の10大目標」を作るのだ。この一年の出来事をふり返り、成果と反省を総括する。それを踏まえて心機一転、来年の目標設定をするのだ。

昨年末のこと。知人のAさんに対して私の目標の一部を披露したところ、こんなやりとりがあった。

武:「私は5キロの減量と酒を週二回程度に控えることで、一年を闘える肉体にすることが10大目標に入っています」
A:「減量と酒?僕ならさしずめ禁煙ってことになるかも知れないが、どちらにしても些細なことでしょ。10大目標という割には、小さなことじゃないですか」
武:「些細なことかなぁ?」
A:「些細ですよ。そんなことを気にしているようじゃ大物にはなれませんよ」

この話題は結論が出ないまま、他の話題に移っていった。あれから一年、やっぱり来年も“肉体改造”は私の10大目標として欠かせないテーマになりそうだ。ひょっとしたら、永久に続く目標かも知れない。

Aさんが指摘した大物になれなくて構わないので、私は決めたことを守れる人間になりたい。些細なこととは言え、キリストも孔子も、「小さな約束を守ることができなくて、どうして大きな約束が果たせるのか」という主旨の発言をしている。


そんなことを思い出していたら、今朝読んだ本に、おもしろい一節があるのを発見した。

ある大学教授が、学生たちに向かって“授業中の携帯電話禁止”を発令したそうだ。授業中に着メロが鳴りだすと、教授本人はもちろん、他の学生の集中力を削ぐからだ。ところが、それでも時々は鳴り出す。

そこでこの教授は、「以後、携帯音を鳴らした学生は退席処分にする」と警告した。それ以来、しばらく携帯は鳴らなくなった。だが、ある日、とうとう学生の一人がハデに着メロを鳴らしてしまった。

そこでどうしたか?

この学生を即刻退席させたのだ。

教授の判断はこうだ。

「退席させることにコミットしなければ、着メロを撃退することはできない。携帯電話が鳴ったら本当に退席させることでコミットメントの信頼度を維持している」

俗に言う、やりきる力・やらせきる力というものは、コミットメントの信頼度の問題である。
コミットメントとは、固い約束という意味だが、まずは自らが固く誓った約束を守ろう。
平気で自分との約束を破っているようでは、他人に対して何かを守らせる力は生まれない。

当たり前のことが当たり前にできている会社は意外に少ない。私の印象では、中小企業の9割以上が基本の徹底ができていないと思う。それは、経営者自身に負うところが大なのだ。

やりきる力、やらせきる力の開発を怠っているのだと考えよう。部下に対して、時には強制力を行使し、時には自発的な行動を促し、あくまでもコミットメントの信頼度向上に努めよう。

蛇足ながら、キリストは安易に約束してはならないとも忠告している。「過ぎたるは及ばざるが如し」という通り、オーバーコミットメント(約束し過ぎ)は、コミットメント不在と同じなのである。