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W杯 後半戦の楽しみ方

生きているうちに見たいものが二つある。ひとつは男子サッカーのワールドカップで日本が優勝する場面と、もうひとつはゴルフのメジャー大会(できればマスターズ)で日本人選手が優勝する場面である。それを友人に話したら、「ゴルフは可能性があるけど、サッカーの方は無理でしょ」と笑われた。

今朝のコロンビア戦を見ていると世界との壁を認めざるを得ないが、絶望的に高い壁でもない。

スペインやイタリアなどの優勝候補がグループリーグで敗退したが、負けた相手も優勝候補である。おおむね FIFA ランキングの上位国が順当に決勝トーナメントに進出している。下克上を起こすにしても、ランキングで 30位以内に付けていないと話にならないわけだ。

★FIFA ランキング
http://members.jcom.home.ne.jp/wcup/fifarannking.htm

日本は 2005年にランキング 13位まで行ったことがあり、今の 46位というポジションは、強化がまったく進んでいないことを素直に表している。おそらく、コロンビアに大敗を喫した今日以降、戦犯さがしや次期監督の人選などが話題になるであろうが、日本サッカー全体として W杯で優勝を狙うための「○カ年プログラム」をつくっていただきたいものである。

日本敗退が決まったわけだから、ここから先の後半戦は純粋にサッカーを楽しみたい。その楽しみ方について、ひとつご提案しよう。

それは、「エスコートキッズ」に注目することである。

選手が子どもと手をつないで入場し、国家斉唱のときも選手たちの前に立っているあの子どもたちは「エスコートキッズ」と呼ばれている。また、国旗やフェアプレイの旗を持って入場する子どもは「フラッグキッズ」という。

W杯では 1998年のフランス大会から「エスコートキッズ」を起用するようになった。フェアプレー・プロジェクトの一環として、選手が子ども達の前で恥ずべき行為をしないよう、フェアプレーの象徴として子どもを招いた。また、国連が推進する児童虐待防止キャンペーンの意味もあるという。

2006年のドイツ大会では、大会スポンサーのマクドナルドが 46カ国から 1400人以上のエスコートキッズを募集し、日本からも 11人がドイツへ派遣された。

國仲藍夢(くになか あいむ)君は、宮古島市立東小学校の三年生。今年の 1月 3日、うれしいお正月になるはずだった藍夢(あいむ)君に悪夢がおそった。お母さんがその日、妹を出産した直後の出血が止まらず、帰らぬ人となってしまったのだ。父子家庭になった國仲家は父の実家の宮古島に引っ越した。お母さんが藍夢君のサッカーを応援していたことから宮古島でもすぐに地元のサッカークラブに入った。

ある日、お父さんと一緒に立ち寄ったマクドナルドで、W杯の「エスコートキッズ」の募集に目が止まった。藍夢君は応募用紙の作文欄にこんなことを書いた。

「ぼくはサッカーをはじめて 3年です。もっとれんしゅうして、本田せんしゅのように、せかいでかつやくしたいです。そして、いちばんおうえんしてくれた天国に行ったお母さんにもみせたいです」

日本国内で 1万通近い応募があった中から藍夢君は 11人の 1人に選ばれた。

お父さんは新聞の取材でこう述べている。「母を亡くしていろいろ我慢している部分がたくさんあると思う。それでも小さな妹たちがいるので気丈に振る舞っている。日本を出発する前日の 6月 14日は本人の誕生日。今回のことはママから藍夢への『夢』のプレゼントだと思う」

ギリシャ戦で藍夢君は大好きな長友選手と手をつないで入場した。勝たなければならない大事な試合だと知っていた藍夢君は、長友選手との別れぎわ、「がんばってください」と声をかけた。長友選手は「うん」と言ってくれた。それは藍夢君にとって一生忘れられない思い出になっただろう。

将来は日本代表のサッカー選手としてワールドカップに出たいという藍夢君。彼らが日の丸を背負ってピッチに立つ 10数年後、日本代表チームが世界の壁を克服していることを願おう。

★マクドナルド エスコートキッズ
http://www.mcdonalds.co.jp/social/sport/escort_kids/eleven.html

★宮古毎日新聞記事 http://www.miyakomainichi.com/2014/05/63118/