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許されない失敗の前に

昨日、新国立劇場で予定されていた昼の演劇公演が中止された。主催者の発表は「公演準備が整わなかったから」だが、実は役者の一人(25歳)が公演時間を間違えていたのが真相だという。関係者が本人の携帯に連絡をしたが、本人は、「今日は夜公演の日だと勘違いしていた」とのことで、携帯電話に出なかった。

たった一人のうっかりミスが原因で公演が中止されてしまうのは珍しいことのようで、スポーツ紙の芸能欄に顔写真入りで報じられていた。本人はすぐに劇場に走って関係者に詫びを入れ、「今月 28日までの公演は予定通り出演させていただきたい」と頭を下げたという。

いかにもお粗末な、プロらしからぬ行為である。だが、それは役者本人よりもマネージャーの責任の方が重いのではないかと私は考えている。決して役者を庇うつもりはないが、ひとりの人間として思い違いは誰だってある。ちょっとしたミスを大事に至らせないようにするのがマネージャーではないか。

『ハインリッヒの法則』によれば、こうした一つの重大事故の背後には 29の軽微な事故があり、さらにその背景には 300の異常や「ヒヤリ」と「ハッ!と」が存在するという。この役者もいままでに、何度かの前兆があったはず。その段階で、入念な予防策を講じておけば防げた事故だと思うがいかがだろう。こうしたコミュニケーション不足というのはマネジメントする側の責任である。

12年前の夏休みに起きた兵庫県明石市の花火大会歩道橋事故もマネジメント側のコミュニケーション不足が招いた大惨事だった。

花火会場の大蔵海岸と JR 朝霧駅との間には、国道 2号線が走っており、それを横切るのはこの歩道橋しかなかった。迂回すれば陸橋や踏切で横切ることもできたが、わざわざ迂回する人は少なかった。しかも、迂回経路があることのアナウンスもしていなかった。

さらに、この日、暴走族が出ることが予想され、警備が分散するのを防ぐために祭りの出店はすべてこの歩道橋付近に集約させていた。その結果、花火を見たい人と見終わって帰る人とがすべてこの陸橋の上で合流。1m?あたり 13人から 15人という異常な混雑が発生した。ちなみにラッシュアワーの大混雑で 1m?あたり 5人ぐらいだというので、その 3倍を詰め込んだことになる。

しかも、この歩道橋にはプラスチック製の側壁と屋根が付いていた。歩道橋のなかは蒸し風呂状態となり、混雑と蒸し暑さから逃れたい群集心理が発生した。そして、ついに群衆なだれが発生した。弱者である子供と老人が手すりと壁の間に挟まれ 11名(子供 9名、老人 2名)が圧死した。負傷者は 247名にのぼった。

当初の警備計画では、「 1m?あたり 3人で入場制限する」と記載されていたが、続々と押しよせる人の海をみて、入場制限を見送る判断をした明石署。もし入場制限していたとしても駅構内や別の場所がパニックになっていたかもしれない。

計画が甘かったと気づいたときにはいかなる措置も後手にまわる。そもそもこの日の警備計画書は、その 7ヶ月前の 2000年 12月 31日に行われた世紀越えカウントダウン花火大会の計画書が丸写しされていたものであることが明らかになった。また、その計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用したものであることも判明した。ずさんな警備計画。

警備会社は、事故直後の新聞に「茶髪の青年が無理に押したので群衆なだれが発生した」「茶髪の青年達が歩道橋の天井によじ登って騒ぎ、不安を煽り立てた」と証言し、自らの責任逃れを図った。ところが後日の調査で判明したのは、その茶髪の青年たちが歩道橋での惨事を通報するためプラスチック壁を破壊して屋根にのぼり、歩道橋への群衆流入を阻止しようと惨事を皆に伝え、救急を要請していたことが判明した。

事故や事件には不可抗力もあるが、防げるものもかなりある。今日の 2例(俳優の遅刻と明石歩道橋)は、マネジメント側のコミュニケーション不足が理由であると紹介したが、なぜそうなるのだろうか。

・忙しいから入念な準備をしているヒマがない
・今までも何とかしてきたから、これからも何とかなる
・ぶっつけ本番と臨機応変で乗り切れば大丈夫

という心理に忍び寄る罠である。許されない失敗をしでかす前に、その予兆を撲滅しておかねばならないことを教えてくれた例である。