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ずっと必要とされる100歳

「私は 125歳まで生きたいと思っている」。ある場所でそんなことを言ったら「変だ!」と笑われた。「そんなの意味ないですよ武沢さん、むしろ人生のクォリティの方が大切じゃないですか」という。今は寿命の話をしているのであって生き方や生き様の話をしているのではないのに。

長命派か短命派か。それは人それぞれで良いと思う。長生きであるべきだ、とか、短命であるべきだ、という議論に意味はない。それは本人の希望であり、好みを聞いているのに近い。

私は 125歳まで長生きし、まず自分が自分を必要とする人間でありたい。打ち込んでいることがあって、人生に退屈するなんて考えられもしない人でありたい。あれもしたい、これもしたい、という Wish の多さも大切だが、打ち込みたいテーマを一つもっていることの方がもっと大切だろう。私にはそうしたテーマが幾つもあるから長生きしたい。

目的ではなく手段として健康や命が必要なのだ。

できれば他人からも必要とされる人間でありたいが、それは他人様が決めることだ。家族や友人、仕事先の仲間から必要とされる存在でありたい。だが「人から必要とされる人間になる」というのは目標ではなく、結果である。追い求めるものではなく自然とそうなるものだろう。

そんなことを考えていたら、新聞広告でこんな本を見つけた。

『100歳、ずっと必要とされる人』
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3641

片道 1時間、毎日通勤して働き続ける福太郎おじいさんの本である。私の理想に近い人なのかどうかは分からないが、100歳でこの表紙の笑顔と若さに驚き、すぐに注文した。

週末の土曜日にさっそく本が届いたわけだが、「100歳の現役サラリーマン」とある。大変裕福な方のようで、お金に困って働いているのではない。ましてや、時間を持てあましているからそうしているのでもない。むしろ、のんびりしたいと思って 96歳のとき辞表を提出したのを会社から「ずっといてほしい」と口説かれているそうだ。

さっそく読んでみたくなった。

続きは明日に。