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続・ある事件

ある田舎町で便利屋を開業したA社長。仕事は順調にいきかけていたが、社員のひとりC君が資産家の客先からお金を盗んでいたことが発覚。問い詰めたところ、本人はそれを認めた。

C君のことを家族同然に可愛がっていた客先だが、警察沙汰にするという。A社長も腹をくくってそれを了承し、最悪の場合にはこの町でこの仕事はもうできないと覚悟した。便利屋の仕事が好きで使命も感じていたA社長には辛いことだったが、社員への教育指導が不十分だったことは認めざるを得ない。

「会社の名前と私の個人名が表にでるのは構いません。だが、なるべくならC君の名前と”便利屋”という業種は内密にしてもらいたい」というのがA社長の希望だった。その理由は、C君には子供がいる。小さな田舎町だけにこの件が知れ渡ったら辛かろう。もうひとつの理由は、ほかの町の便利屋さんに申し訳ない。業界のイメージを下げるようなことだけはしたくなかった。

だが、資産家のご主人はこういった。「あなたが部下のことや業界のことをかばえばかばうほど、私たちのいきどおりは高まります。それに、子供は免罪符ではありません。親は何をやっても許されるのですか?子供がいるからこそ、親はしっ
かりすべきじゃないのですか?」

あらためて、”自分はなにかをお願いできる立場にはないのだ”とA社長は悟った。

「もう一度C君からしっかり事情聴取してちょうだい。彼次第でもあるわけだし。私の方でも分かるかぎりで被害額を算出してみるから。どう決着つけるかは明日決めましょう」と資産家のご主人。

その足でC君の家にむかったA社長は、車のなかで”今後”のことを考えていた。”今後”とは、廃業後のことだった。

A社長にも中学生の娘と高校生の息子がいる。この事件が新聞にでればA社長の子供たちも住みづらくなるだろう。もし子供と妻がそれを望めば家族そろって県外に引っ越そう。何県がいいだろ、そこでどんな仕事をしよう、給料はいくらもらえばやっていけるのだろう…。

そんな”今後”を考えていたら、C君の家についた。C君の奥さんは近所のコンビニで働いていて家にいなかった。

「最悪の場合、あなたは窃盗罪で逮捕され、新聞テレビで名前と顔が公表されるでしょう。我が社の名前も出るでしょうし、私の名前も出るかもしれない」

C君の顔は無表情でなにを考えているのか分かりづらかった。ただ、「すいません」とペコリと頭をさげたので、反省はしている様子である。

「被害者も我が社も事件の全容を正確に把握したいと思っている。だから、これからの質問にはすべて隠しごとなく正直に答えてほしい。そうしないと、警察と裁判所に詳しく調べてもらうことになる。あまり大ごとにはしたくないだろう?」「はい」

一番最初にお金に手を出してしまったのはいつのことか?それは幾らだったか?どういう理由で手を出したのか?そのお金はいまどこにあるか?

二度目はいつか?いくらか?どういう理由?それはいまどこに?
三度目はいつか?いくらか?どういう理由?それはいまどこに?

なるべく冷静を装いながら、C君の供述を手帳にメモした。結局分かったことは、二ヶ月間に 6回にわけて 150万円以上盗んでいた。最初のころは少額で、だんだん高額になった。しかも最初は返すつもりでいたのが、途中から返せないかもしれないと思うようになったという。

「もうこれ以上は絶対ないと誓えるか?」「はい、もうありません」

「じゃあもうひとつ聞く。盗んだお金はどこにある。ある分だけ持ってきなさい」結局このときも、「まだあるだろ」と何度もいわれてその都度 10万円が入った袋がでてきた。結局、90万円が自宅から回収された。残りの60万円以上は生活費とギャンブルに消えていた。

翌日、資産家のお宅にC君を連れていった。だんだん事態の重さを認識しだしたのか、C君は玄関先で土下座した。それにはA社長もびっくりした。

資産家は言った。「あれから我が家の被害を調べてみたらね、だいたい 100万円前後ぐらいが減っているということになったが、そちらではどうだね」A社長は返答した。「とんでもないことをしてしまいました。150万円もやってしまったと本人がいっております。大変、申し訳ございませんでした。ただ、現金の方は使わずおいてあったとかで、ここにこうしてお返しにあがりました」
そこには、150万円のほかに「お詫び」と書かれた封筒があり、中に30万円が入っていた。

何も決着していないのに受け取るわけにはいかんと「お詫び」は受け取ってもらえなかった。

「お金はギャンブルに使ってしまった」と昨日報告されたはず。なのにここに現金があることがおかしい。きっとA社長が不足分を補填したのだろうとご主人は想像した。

そういえば、このご主人も人材派遣会社を経営をしているころ、社員の不正に頭を痛めたことがあった。社員を罰し、解雇し担当を変える。そんなことをくり返しているうちは不正が何度もつづいた。だが、社員が客先のコンピュータを操作して現金を不正送金したのが発覚したとき、倒産廃業を覚悟した。そのとき、客先の社長に助けられた。そのありがたさは終生わすれられない。そして、二度と不正が起きない会社にする、と固く誓った。

社長が固く誓っていれば、不正は起きない。緩めたらまた起きる。いままで一度も不正がなかったA社が起こした初めての不正。A社長は大いに懲りているはずだ。だったらA社は大丈夫だろうというのが資産家の考えだった。

「こうして全額を返してもらった限りは、表沙汰にするわけにはいかんよ。今月からC君はうちには来にくいだろうから、他の担当者を回して下さい」とご主人。A社との契約継続を約束してくれた。

結局C君は始末書と進退伺いを会社に提出してA社にとどまることになった。そして使ってしまった金額を1年かけて弁済していく予定だという。

その後A社では事件が発覚した 6月 13日にちなんで毎月 13日を「不正撲滅の日」にした。

「私は訪問先で見るもの、手に触れるもの、全てがお客様のものであると自覚しています。したがって、お客様の許可なく勝手に借りたり、持ち出したりするようなことはいたしません。もし万一、そのような行為をしてしまったときには、いかなる法的な罰も甘んじて受ける覚悟です。愛する家族を守るためにもそのようなことは決してしないことをここに誓います。

平成○○年○月○日   本人署名           印

この文面を社員のひとりが朗読し、そのあとに全員がそれに署名して提出する。
社員から犯罪者を出さない、それがA社長の決意であり資産家夫妻への恩返しでもある。