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不十分を知る

人前でアガル、緊張して声がふるえる、話し中に膝がガクガクする、ということの心理を考えてみたい。いや、考えるまでもない。私自身が昨日、久しぶりにそんな体験をし、記憶に生々しいのだ。

江川ひろし先生の日本話し方センター主催、「コミュニケーション&ヒューマンリレーションセミナー3日間コース」名古屋講座に参加した。仕事柄、人前で話す機会が多い私は、わずかながら自負心があった。

「自分は話がうまいほうだ。少なくとも下手ではない。今さら話し方
講座に参加することにしたのは、ちょっと軽率だったかも知れない。そんなことよりあの仕事が、この仕事が。それにしても、中国出張前の週末3日間は痛いなぁ・・・。」と、内心ぼやきと後悔で参加した。

専任講師の先生が号令をかける。「きりーっ、れい!」
「よろしくおねがいします」
「声がちいさ~い」
「よろしくおねがいします!!」
「背中がまるい!」「はい、よろしい」「ちゃくせきぃ!」

こんな感じでスタートした。
「案の定、失敗だったか。参ったなぁこれは。軍隊みたいだ、こういう精神主義的な研修ニガテなんだよね」と、真剣に逃げ出したくなった。事実、いつでも逃げ出せるよう、会場までは自転車で駆けつけてあり、席もほとんど最後列だった。
専任講師のオリエンテーションが終了し、江川先生の講座が始まる。
そして、90分後。

号泣している私がいた。

決して涙もろいほうではないが、真剣にがんばってる人をみると無性に感動し涙する。柔道の山下の金メダルに、スケートの清水の長野でのあのガッツポーズに、W杯サッカー日本代表の敗戦に、横綱貴乃花の復活に涙した。アルパチーノ主演「セント・オブ・ウーマン」の盲目軍人のスピーチにも泣いた。そういえば、ブロードウェイのミュージカル「キャッツ」にも泣いた。
だが人さまのお話しに泣いたのはこれが始めてだ。ハンカチでぬぐうほど涙した。

口から発することばは、単なる用件を伝え合うための道具なんかではない。文字通り人の命を奪うこともあれば、自らに跳ね返って命を奪われることもある。
人の心を打ってやる気を引き出し、人生を明るい方向に変えるひと言もあれば、その逆もある。
話し方を学ぶということは、単に技法の問題ではなく、懸命に生きようとする姿勢の問題であり、心の問題だ。
そうしたことを江川先生は豊富な例を交えて語られた。そして、ある八百屋の少年の話になったとき、私の心の琴線にふれた。そしてわしづかみに魂をゆさぶった。

マグマが吹き上げてくるように、湧き出る涙は止まることがない。ついさっきまで、逃げ出す算段をしていた私だが、江川先生の講座が終わって休憩になっても席を立てなかった。
どうやら腰が抜けたようだ。

恥ずかしい、まったく恥ずかしい。
いったい自分のどこが話し上手なのか言ってみろ、と自分に問うた。
ただ単に場数を踏んで緊張しなくなっただけではないか、と気づいた。

自分は話し上手でもなければ、心の頭が高い自意識過剰な人間なのかも知れないと気づいた瞬間、「今日からの三日間を天からの贈り物にしよう。」と決意した。
コミュニケーションの達人になるということはほかでもない、人間の達人になるということだ。そんな決意をすると、何と不思議なことに、たった1~2分の自己紹介で緊張するようになった。
「あれ、どうしちゃたんだ。こんなはずじゃ。」と内心で動揺するが、人前でアガルようになった。

自己紹介のなかで「え~、あの~、う~ん」が10回もあると指摘された。22回というワーストの方よりはマシだったが、話し上手という自己イメージは完全に崩れ去り、ゼロからの学習が始まる。

アガルということへの対策、明日につづく。

日本話し方センター http://www.tomocre.org/ohanashi/