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I love you

「 I love you 」って先週言っただろう、だから今日は言わなかったんだ、という論理は通らないだろう。「 I love you 」の気持ちが変わっていないかぎり、その気持ちは惜しまずに今日も伝えるべきなのだろう。受け手にとって、愛情メッセージは、満たされた瞬間に消滅し始め、すぐに飢えてしまう。たえず補給が必要なビタミンのようなものだ。
だが与え手の側は、どうだろう。四六時中「 I love you 」を言えるものではない。それを言いたくなる理由やタイミングが必要だ。

これは、愛に限ったものではない。ビジネスの現場も同様なのではないか。相手が人間であるかぎり、リーダーは部下の心理を理解し、感情に直接訴える術を心得ている必要がある。それは“喜怒哀楽”へのメッセージと言って良い。

「喜」・・・うれしさ、を部下が感じる瞬間があるか
「怒」・・・いかり、にくしみ、を部下が感じる瞬間があるか
「哀」・・・かなしみ、くやしさ、を部下が感じる瞬間があるか
「楽」・・・たのしさ、たのしみ、を部下が感じる瞬間があるか

自分はこの会社、この上司にとって必要なんだ、私ってやっぱり貴重な存在なんだ、ということを確認したいのは毎日のことなのだ。それは、「 I love you 」を求めるフィアンセと同じだ。

また、それとは逆に、自分はこの会社に必要ないのではないか、最近ライバルのAさんのほうにみんなの関心が行ってしまって、自分は認められなくなっているのでは・・・、という「怒」と「哀」の感情は、年令・立場・性別に関係なくある。

スペシャルなリーダーは、そうした人間心理をよく理解して接している。時には「喜」を、ある日は「怒」を、たまには「哀」を、あるときは「楽」のメッセージを組織や個人に発する。
それは、人心掌握とか操縦術といった計算されたテクニックではない。テクニックだけで部下がついてくるとは思えない。それは、相手や職場の空気に反応して行うものであり、空気の読み方に優れているリーダーでなければできない芸当だ。

おっといけない。話が大げさになりかけてきたので、卑近な例をひとつあげよう。

相手を喜ばすことに人はやる気を感じる、というお題で実話を。
昨夜、わが家での夕食後の会話。

「おい、たのむ。コーヒー入れてよ。」
「なによ~、今やってあげようと思ってたのに。やる気なくなっちゃった。自分で入れて。」

やろうと思っていたことを頼まれるとやる気がなくなるようだ。きっとかみさんは、私がコーヒーを欲しがるだろうと思って、先回りして作りかけていた。「おっ、ちょうど欲しかったんだ。気がきくね。」のひと言を聞きたかったのかしれない。だが、折りわるく、私からコーヒーのオーダーが入った。すると途端にそれが“職務”になってしまい、情熱が冷めたようだ。

結果的に、このタイミングの悪さによって私は、自分でコーヒーを入れるハメになるだけで済んだが、仕事でこのようなことが日常的にあっては、相当なエネルギーダウンと生産性低下を招くはずだ。

相手の気持ちを察して、先回りしてそれをやってあげること。その結果相手が驚き、喜び、「あなたって気がきくねえ。うれしい。」と関心されることで本人も酬われる。そんな喜びを部下から奪ってはならない。

社長があまり事こまかに指示を出しすぎると、かえって部下からアイデアも情熱も奪ってしまう。やり手社長の会社に人が育たないのはそんな理由だ。

望ましい結果を伝え、今の状況に満足していないことを伝え、「どうしたら良いと思うか」を質問する。あとはみんなに考えてもらおう。解決の方法論にまで口だしし始めると、逆効果になって“自分でコーヒーを入れる”運命になるのでご用心。
社員の喜怒哀楽を活性化するためにも、自由裁量の余地や、驚かす喜びを仕事のなかに充分残しておいてあげようではないか。