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遷都と常若

「何ごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と西行が詠んだ伊勢神宮。
どなた様が祭ってあるか、どんなゴリヤクがあるかなど詳しいことはしらなくてもそこに一歩踏み入れれば感激して涙が出てくるという意味だが、実際にそんな荘厳さが ”お伊勢さん” にはある。

先週、二十年に一度の式年遷宮の儀式がすべて終わった。式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇 4年(690年)に第1回めが行われたという。その後、戦国時代の 120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、今回の第 62回式年遷宮まで、およそ 1300年間つづいている。

前回の遷宮が平成 5年、その前が昭和 48年、その前が昭和 28年、昭和 8年、大正 2年、明治 26年、明治 6年、嘉永 6年(江戸時代)、天保 4年、文化 10年、寛政 5年、安永 2年、宝暦 3年、享保 18年、正徳 3年、元禄 6年、延宝元年、承応 2年、寛永 10年、慶長 18年とさかのぼる。その前はすでに戦国時代になるので中断されていたはずだが、信長は遷宮費用を献納しているし、秀吉のときも第 41回の式年遷宮をとりおこなっている。

次回は平成 45年(2033年)に行われるわけだが、私たちはどんな姿で次回の遷宮を見るのだろうか。

知日派の学者・ドナルドキーン氏がかつてこう述べている。「ギリシャ人は永遠に存続するものと信じて神殿を大理石で建造した。一方日本人は、伊勢神宮を建立するにしても、二十年以上はもたないと知りつつ、いずれは腐ってしまう材料で造った」

石やコンクリートではなく、あえて木造の神殿をつくり、二十年に一度それを壊して寸分たがわぬ同じものを新たにつくる。その作業を延延と続けてきた世界にも稀な式年遷宮。その根底には、「常若」(とこわか)の精神がある。

「常夏の国○○」という言葉がある。それと同じ意味で「常若」という言葉には、いつまでも若々しくあろうと願う心がそこにある。

『常若の思想』(河合真如著、祥伝社)によれば、そもそも「常若」を知らずに日本文化は語れないという。栄枯盛衰、諸行無常、最初からこの世で絶対ほろびないものなどない。だったら、ほろぶ前提に立って、どういう頻度でスクラップ&ビルドするかを前もって決めておき、規則正しくそれを守ることが若さの秘訣、つまり「常若」の思想なのだという。

現実問題としては、今回の遷宮費用は前回にくらべて 5倍強のコスト(約328億円)がかかった。寸分違わぬ同じものをつくると言っても朱鷺(トキ)の羽根など、材料の調達が困難なものも出てきているという。これからも遷宮は、その時代ごとに様々な困難がつきまとうと思うが、それこそが常若を維持するための苦労(代償)というものだろう。

会社も「常若」であらねばならない。「常若」でありたいと願えば願うほど、そのための仕組み作りに懸命になるし、意識的に古くなったものを壊していく勇気も生まれてくる。

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★『常若の思想』(河合真如著、祥伝社)
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