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エルトゥールル号 続報

今年二月にお届けし、反響をよんだ、あのトルコ船「エルトゥールル号の遭難」についての記事が、なんと、司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』にあるのを発見した。

この遭難事故は、明治23年9月の台風で熊野灘沖にトルコ軍艦が沈没したもの。トルコ国親善使節の海軍少将オスマン・パシャが溺死し、艦長以下581人の尊い生命が海に消えた。生存者はわずか69人という、海運史に残る大事故であった。

この事故処理にあたり、ときの明治政府は、海軍に命じて生存者69名を本国トルコに送還することを決めた。『坂の上の雲』では、このトルコ軍艦の名前が「エルトグロール号」として紹介されている。

まず、正しい艦名はどちらなのか、気になる。「エルトグロール号」でグーグル検索した結果、16件のサイトがヒットした。同じく、「エルトゥールル号」では435件のヒットがあり、こちらの方が普及していると判断した。よって以後、「がんばれ社長!」ではこちらを用いることにしよう。

さて、この軍艦遭難と「坂の上の雲」の関係について。

明治23年7月、江田島の海軍兵学校を主席で卒業した秋山真之以下、卒業生たちは、練習艦隊に乗り組んで実地訓練をうける。その練習艦は「比叡」と「金剛」の二艦である。練習なので遠洋には出ることはせず、日本沿岸をまわるだけである。7月某日、秋山たちの艦が太平洋を東に向かっていたとき、遠州灘で外国船とすれちがった。旗によって、それがトルコの「エルトゥールル号」であることをこのとき確認している。

この年、9月に入ると台風が多かった。ある日、横須賀で待機中の彼らのもとに、トルコ軍艦沈没の詳報が入った。秋山たちはおどろいた。

さらに日本政府から通達が届く。
「生存者69名を本国に送り届けるべし」

真之をはじめ兵学校卒業生はよろこんだ。初の遠洋航海ができるから、という単純なものだ。10月5日に横須賀を出航し、翌々日、神戸に入港。そこからトルコに向けての遠洋航海が始まっている。

さて、今年2月、エルトゥールル号の記事をここでご紹介したときは、その内容に純粋に感動してお届けした。それから4ヶ月、まさかそのトルコとW杯で対戦しようとは。さらには、それからまた2ヶ月。秋山真之の人生にこの事故が関わっていることを知ろうとは。

秋山真之とは、日露戦争においてバルチック艦隊を日本海海戦で撃沈した作戦主任参謀であり、司令長官・東郷平八郎を補佐した。「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文起草者としても有名だ。

エルトゥールル号遭難 http://www.e-comon.co.jp/el.htm