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松陰さん その2

梅雨も明けて一気に夏空が広がった先週末。連休を利用した経営者合宿研修のために名古屋某所に8名の社長が集まった。

そんな中、ある経営者との会話。「武沢さん、俺はナンバー2で頑張ってくれている彼のために会社を法人化したようなものだ。俺ひとりだけのことであれば、今まで通り自営業でやってたほうが楽だもの。でも優秀な彼のために会社を作ったんだ。」

このK社長は、コツコツ貯めた資金から今月、株式会社を設立したばかりである。

そんなKさんの話が続く。

「今回の合宿で会社のビジョンを作っているのだけれど、自分が恥ずかしく感じるときがあった。私利私欲が強いんだよな、俺は。会社の将来を損益計算書で目標設定するとき、どうしてもまず自分とかみさんの給料を先に計算してしまう自分がいる。その結果、ナンバー2の彼や、今後入ってくる社員の給料がなくなってしまって、あわてて計算し直している。そんな小さな器の自分が恥ずかしい。これでは大した経営者になれないよね。」

私はKさんに申し上げた。事業のスタート段階でご自分の生計が確保できるかどうか、どの程度の報酬が期待できるかを計算することは決して恥ずべき事ではない。事業家の欲望として健全なものである、と。

大切なことは、欲望の中味が変質していくことである。

仏教では欲を捨てることの大切さを説く。俗に「五欲」という財欲・名誉欲・食欲・性欲・睡眠欲は、煩悩につながると言って人間を不幸にするものと教えている。だが、勘違いしてはならないのは、「だから欲などは持ってはいけません。」とは教えていないのだ。教えには続きがあるのだ。そうした欲望は、やがて自制が効かないほど際限がなくなるので、早く大きな欲望に昇華させなさい、と教えているのである。昇華させること、それが重要なのであて、まさしく「青年よ、大志を抱け!(クラーク博士)」なのである。

企業経営にあっては、小さな目標やささやかな欲望程度では理念・志とは呼べない。それはたんなる煩悩に過ぎない。企業経営者がもつべき欲望とは、ささやかで安定した生活ではなく、大志である。業界の常識を変え、世の中を変えていくほどの大きな理想を持つべきは企業人の任務だとすら思う。民間企業人が覇気を持ち、大きな志と達成への見通しをもってこそ、日本という国の行く末は明るくなる。

「人間を偉大にしたり、卑小にしたりするのは、その人の志のいかんにある」とはドイツの詩人シラーの言葉だが、志を語り合う仲間があなたのまわりに何人いるかが勝負ではないだろうか。

そう言えば、「松陰さん」の続き。

1.志をもたない経営者
2.志をもっているが志士とは言えない経営者
3.志士たる経営者

「2」の経営者とは何か、それは、欲望を昇華させることが出来ていない私心もしくは私利私欲の経営だ。この段階をいち早く抜け出ないといつまでも大気圏内をぐるぐる回る。大気圏を飛び出すためには、欲望を昇華させる必要がある。それが志操を練り、志操を堅固に保つということだ。

吉田松陰が書き残したものを幾つかご紹介し、彼の胸の内をかいま見よう。

『自警語』
昔、董仲舒(とうちゅうじょ)は三年間園をうかがわず、孫敬は常に戸を閉ざせりと。古の人の其の学に於けるや、勤勉刻苦することおもねくかくの如し。なお、何ぞ花に吟じ、月に酔いて風人の態を為すに暇あらんや。 (弘化四年一二月九日)

その意とするところは、
中国の漢代の学者である董仲舒や孫敬は、三年間園を見ないとか常に戸を閉ざして刻苦勉励していたという逸話がある。松陰は、これら故事に感じ、当時の風流文雅の生活風潮に抗し、大いに実学に励むことを決意している。

(参考:山口県教育会編纂 『吉田松陰』)

『寡欲録』

孟子曰く、「心を養ふは寡欲より善きはなし」と。周子曰く、「これは寡くして以て無に至る」と。孟・周の言、学者に於て尤も切なりと為す。故に余、因つて物欲の陥り易くして悔い難きものを雑録して自ら勉む。凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、多くゆるがせにする所に在り。詩文書画凡百の玩好皆これなり。他の物欲に至りてはこれより甚だしきものと雖も、陥り難くして悔い易し。何となれば則ち外憚る所あり、内羞づる所あればなり。

(後略)

その意とするところは、
詩文書画を愛し、耽溺することが志を奪うものになるといい、兵学者たる松陰の身分でもって君主(藩主)に生命を捧げると  いうのが松陰の立志であった。

(参考:山口県教育会編纂 『吉田松陰』)

このいずれもが血気盛んな二十歳前後に書かれたものであり、激しいまでにストイック(禁欲的)な自己規制に貫かれている。しかも松陰が単なる禁欲主義者でないのは、「何をしなかったかではなく、何をしたかが大切だ」ということを身をもって証明した。子供のように純粋に志を行動に移したのである。

そこまで純粋に、かつ焦燥感すら周囲に与えながら、自らの志に賭けることが出来たのはなぜか。

それは松陰の日頃の学問姿勢にヒントがあるようだ。