未分類

選択の余地

アイデアをふくらます上で、ブレーンストーミングなどして選択肢をどんどん増やす作業をする。選択の余地がこんなにたくさんあるのか、と分かって嬉しくなることもある。

一方、選択の余地があるということがアダになり、かえって決意を鈍らせ、安易な道へあなたを誘うワナになることもある。

個人的なお話しをさせて頂きたい。

私は昨年一年間、午前4時起床を励行した。理由は簡単で、今までの仕事をやりながら日刊マガジンを継続発行するにはこれしか方法がなかったからだ。いや、ないと思っていたからだ。

2年前に「がんばれ社長!」を創刊するまでは、午前7時に起きていた。だが、3時間を要するマガジン発行とサイト更新作業は、早起きか、遅寝するか、あるいは昼間の仕事時間にやるかしかない。試行錯誤した上でたどり着いたのが午前4時起きというパターンだ。

以前にくらべ、3時間も早起きするということは、生活の軸が大幅にずれる。ある種の生活革命でもあった。そして事実、午前4時に起きてパソコンに向かい、コーヒー片手に原稿を考えていると、いろいろな感情が出てくる。まず、眠いという肉欲。あるときは、ネタがないという焦り。あるときは、信じられないほどのインスピレーションの湧出。

こうした自分だけが味わうことの出来る個人的格闘行為は至福のひとときとなり、やがては、4時起きというものに対して「これしかないんだ!」と思うようになった。

ところが今年に入り、新たな習慣づくりの試みをしているうちに別のパターンを編み出した。それは偶然、午前7時に目覚めてしまったある日にたどり着く。3時間も寝過ごした緊急事態に全能力が対応し、それでもやれるんだということが分かった。その日以来、4時に起きる理由が薄らいだ。

4時に起きなくても発行出来ることが分かった。つまり、マガジンの定期発行を続ける方法は別にもあるということがわかった。新たな選択の余地が出来た瞬間だ。

だが、4時に起きなくては得られない霊的な何かを得ていないことに気づいたのは最近だった。

表面的には複数の方法があり、それが一見すると沢山の選択肢に見えるが、実際には違う。ある特殊な条件をあなたに提供する選択肢は、実はたった一つしかないということも十分ある。そうした意味で、あなたにとっても、「これしかないんだ」というものがきっと幾つかあるに違いない。お考え願いたい。