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車検チェーン店「コバック物語」 その1

Rewrite:2014年4月4日(金)

★はじめに・・・この物語は実話ですが初めて記事を投稿した2001年から時間が経っており、数字などは当時のままとさせていただきました。文中、敬称略。

父が経営する会社に入ったのは20才のときだった。小学生のときから父の家業を継ぐつもりでいた。通った学校は地元工業高校の自動車科。車が好きで、父が経営する自動車修理工場「小林モーターズ」を継ぐことにためらいはなかった。学生時代はロックバンドの活動に熱中したが、それ以外はごく普通の高校生だった。

その男「小林憲司社長」が高校を卒業して18年経った今、どこに立っているか。

グループ売上350億円、本体売上18億円の巨大車検ビジネス帝国を作り上げたのだ。北海道から沖縄にいたるまで、サンタクロースマークをあしらった看板を見た方は多いはず。FC加盟店は全国255店舗を展開する。

そう、「車検のコバック」であり、小林社長はその総帥だ。愛知県で産声をあげた。文字通りどこにでもある町の修理・車検工場だった。その「小林モーターズ」がわずか10数年で「コバックグループ」の本部として、今なお躍進し続けるビジネスモデルの中枢本部として変貌を遂げた理由は何か。

小林社長はこう語る。

「加盟店の方をはじめ、多くの人との出会いや交流のなかでたくさん勉強させていただきました。とくに父から学ぶものは偉大でした。今でも父は私にとって最高の相談役です。それと、忘れられない本があります。会社に入って間もないころに読んだ藤田田さんの『ユダヤの商法』。これが私のビジネス人生を決定づけたような気がします。この本に書いてある藤田社長の教えを実践しようとそのとき決意しました」

「しかし、そのころの自動車修理工場というのは、ビジネスというよりは技術者の世界であり、とても藤田さんのようなビッグビジネスはこの世界では作れないとも思っていました。となりの芝生は青い、と言いますが、本当にそうです。本を読んでしばらくは、真剣にハンバーガービジネスをやろうと考えていたくらいです」

「でもこんな強烈なカリスマがいる業界に飛び込むのはどうかな、とも思っていました。むしろ車検業界は旧態依然としていて生産性も低く、競争もない。『ユダヤの商法』には、“目の前にチャンスがある”とも書いてありましたから、いまの仕事に踏みとどまってチャンスを作ろう、と決意しました」

一件しかないモーターズがFC展開を始めるというのは思い切った発想の転換だったに違いない。その経緯を尋ねてみた。

「車検のマクドナルドを作りたい、という漠然としたイメージはありましたが、FC展開を始めるまでにはいくつかのプロセスがありました。まず単独店として成功しなければなりません。少なくとも地域一番店でなければなりませんし、出来れば全国規模でみてもトップクラスの成績をあげないと誰もFCの話など聞いてもらえないのは判っていました。『コバック』のFCに入ると必ず成功する、ということを証明する必要がありました」

「入社2年目の22才のときには、修理工場としては異例のチラシ投入で集客し、成果を上げていました。さらにその翌年には今の『コバック』の前身ともなる『車検センター愛知店』を新設しました。この出店は、大成功でした。それまで年間1,400台だった車検台数が、この出店によってちょうど2倍の2,800台になったのです。一日10台の車検処理というのは、地域一番店はもちろんのこと、全国でもトップクラスだと思います。ちなみにこのお店は、今では8,100台の車検をこなしています。毎日30台平均というのは、関係者が聞くと信じられないと皆さん言います。でも見に来られると、絶句されて、夜も眠れなくなるとおっしゃいます」

「それも当然でしょう。普通の車検工場が、忙しい忙しいと言いながらも、私どもの何分の一か何十分の一です。しかも車検代金や修理代金は売り掛けになることが多く、代金回収もひと仕事。貸し倒れも決して少なくありません。しかし私たちのモデルは、現金ビジネスです。いやみに聞こえるかも知れませんが、万札でレジが閉まらないこともたびたびです。現金を前金でいただけることと迅速作業の仕組みがあるからこそ、いまの低価格車検・高収益事業モデルが実現したのです」

「繁盛の秘訣は明快です。低価格、迅速かつ高品質な仕事、そして厚遇サービス、この三つを徹底して実践したのです。幸いそれを理解し、支えてくれるスタッフがいるのもありがたいことでした」

この新店の大成功で小林社長は、専務として陣頭指揮をとりつつ虎視眈々と次のステップであるFC構想を練っていた。成功しているとは言え、まだローカルな存在にすぎない。いまこそFC展開を開始するタイミングだと小林社長は考えていた。「車検専門店コバック」のチェーン構想だ。

だが、予想外の障害が小林社長の行く手をふさいだ。「偉大」と尊敬する父の理解が得られないのだ。同居家族も巻きこんだ意見の衝突と対立がおきる。「どうして父は分かってくれないのだろうか」小林社長の悶絶が始まった。

<明日につづく>