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突破口「ドミノ・ピザ」の場合 その1

Rewrite:2014年3月26日(水)

「どうしようもない劣悪な環境?最大で最悪の不運?なるほど、そいつは実に素晴らしい!それこそ、君が成功するために与えられた、最高の贈り物だ」(ドミノピザ創業者:トム・モナハン)

身をもってそれを体験した人物だからこそ千鈞の重みをもつ言葉である。

1960年(昭和35年)、23才のトム・モナハン青年は900ドルを元金に弟とともに事業を興す。その小さなピザ屋は5年後に「ドミノ・ピザ」と名称変更。今では世界最大の宅配ピザチェーンとして、私たちにもおなじみだ。だが、その歩みは尋常ではない。

幼くして父を亡くし、生活に困った母から里子に出され、里親に嫌われたトムは孤児院に入れられる。まもなく、母親はトムの弟までも孤児院に送ってきたのでトムの孤独は解消された。だが、トムが6年生になったとき、母が孤児院にやってきて弟だけを引き取って帰る。やがて規定の年令に達して母のもとに戻るが、トムがドライブに出かけたところを、母から車の窃盗罪で通報され、警察に逮捕される。その後、留置所と少年鑑別所で青年期を過ごすことになった。

作り物のドラマのような、最悪な環境で少年時代を過ごしたトムは、18才で海兵隊に志願する。普通の青年にとっては過酷な訓練だが、どん底からスタートしたトムにとっては、すべてがまばゆいばかりの感動と興奮の経験であった。

そうした彼にとって、除隊後、弟と一緒にピザチェーンを経営することや、毎日15時間以上働くことはストレスの対象とすらならない喜びであったに違いない。はじめて人生の突破口を自らの力で切り開いたのだ。

それから10年、30店舗を超えるチェーン店を築いたトムに、新たな悲運がおとずれる。店舗の火災だ。ギリギリの資金計画の中で組み立てられたトムにとって、一店舗の売上げがストップすることは組織の崩壊を意味した。もともとが借金経営で拡大したチェーン店舗だ。歯車が狂い始めたチェーン店は、やがて銀行管理に入り、トムは経営権を失う。

ドミノ・ピザを買収することになった銀行としてもピザ店経営のノウハウがあるわけではない。引き続き社長はトムにやらせるが、実際の権限は何も与えなかった。そうした関係がうまくいくはずがない。やがて銀行は、ドミノ・ピザの解散を決定する。

「待ってくれ!」
この銀行決定に抵抗したのがトムだった。
「私にもう一回だけチャンスを下さい。何年かかっても会社の借金は、すべて返済します」
最初こそ難色を示していた銀行も、やがてトムの熱意に根負けし、トムに会社を引き取らせることを決定。トムの挑戦が再び始まる。

業界全体を見回すと、最大手のピザハットは当時全米だけで3000店以上を展開していた他、ピザインやシェーキーズなどの全国チェーンと比べてもはるかに小さい存在に過ぎないドミノ・ピザ。トムにとって、現状維持は敗北を意味する。

真っ正面から戦っても勝てない場合は、敵の防御が手薄なところを攻撃するしかない。海兵隊で学んだ知恵を活かすときがきたのだ。

「奇襲攻撃をかけるしかない」

成功例のないビジネスアイデア、「宅配」に突破口を見いだそうとした。

<明日につづく>