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沖縄とチェ・ホソン選手

今このメルマガを那覇の空港で書いている。
先週金曜日に沖縄入りしたが、名古屋を出るときちょっとしたトラブル発生。貨物室の開閉扉の油圧が故障。急きょ、飛行機を変更して飛ぶことになり、那覇には予定より2時間遅れで到着したのだ。
セミナー会場に1時間前に入る余裕のスケジュールが、結局は1時間遅れでセミナーを始めることになった。

ドタバタ劇の沖縄入りだったものの、すばらしい時間が沖縄では待っていた。私は沖縄に関しては「雲男」である。沖縄に来ると7割が曇天だ。だが今回はカラッと晴れている。しかも暖かいを通りこして暑い。セミまで季節を間違えたのかミンミン鳴いている。
沖縄セミナーには現地の方以外に、アメリカや秋田県など遠方から駆けつけてくれた受講者のおかげで楽しく刺激の多い時間になった。

翌日はマツダミヒロさんの「しつもんカンファレンス」の会場へ移動。沖縄サミット(2000年)の会場になった「万国津梁館」(ばんこくしんりょうかん)で土日の二日間行われている受講料8万円のカンファレンスに300人が集っている。私の出番は二日目の10:45だが、雰囲気をつかむために初日から会場入りしておこうと思った。

Kさんが那覇から万国津梁館まで送って下さったのだが、その車内で想定外の提案をいただいた。
「武沢さん、男子プロゴルフのトーナメントが沖縄で開催中なんです。チケットもあるし、ちょっとのぞいていきませんか?」
時計を見たら正午だった。他人がゴルフしているのをお金を払って観る気はなかったが、会場入りにはまだ余裕があるし「30分でも構わない」というKさんの好意を受け入れ、沖縄市の「PGMゴルフリゾート沖縄」へ向かった。

石川遼選手や地元沖縄の人気選手が次々に予選落ちしたせいらしい。
「例年の3分の1くらいの観客です」とKさん。そのおかげで優勝争いしている最終組のプレイヤーと握手できるほどの位置でプレイを観ることができた。
「真ん中ちょっと左くらいね」宮本選手がキャディに確認する声まで聞こえる。
プロゴルフを生で観るのは初めてだが、一打一打にかける集中力と執念、それに豪快なパワー、精密機械のようなショットなど、結局は最終組が18番をホールアウトするまで追いかけた。その日、私とKさんはしばしばテレビに映っていたらしい。

「あの選手をご存じですか?」と指さすKさん。その先には首位でラウンドしている韓国人選手がいた。独特な打ち方をする選手である。
日本でもアメリカでも人気者らしい。ファンやメディア対応がすばらしいことから子どもファンも多いという。

ふざけているかのようなコミカルなスイングをする。Kさんいわく、ホソン選手は高校を卒業後、地元の水産加工工場に就職した。しかし20歳のとき、マグロの解体作業中に右手親指の一部を切り落としてしまい、指先の一部がないらしい。ホソン選手は水産会社をやめてゴルフ場で働きはじめた。そこでゴルフに目ざめ、25歳で初めてゴルフクラブを握ったあとは独学で猛練習しプロになったという。

そんな苦労人ゴルファーが優勝争いしているとあって私は「30分だけ」という気持ちを捨て、この選手を追いかけてみようと思った。
25歳で初めてクラブを握った人がプロを目指すこと自体が珍しいのに、親指をなくした人が独学でプロになり、しかも優勝争いまでするなんて尋常ではない。

優勝争いしている最終組のせいもあるが、一番大勢のギャラリーを率いていたのはホソン選手の人気のせいかもしれない。結局、ホソン選手は翌・日曜日も首位をキープし、見事優勝した。
プロゴルフをまた観てみたい。ホソン選手をもう一度観てみたい。

全身汗をかき、歩き疲れてヘトヘトになった私はそのままホテルに向かい休むことにした。万国津梁館には当日入りすることにしよう。