その他

立場が人をつくる、とは限らない

経営者にもいろんな種類の経営者がいる。そして、みんながみんな、
業績を伸ばしたいと思っているわけではない、ということを今朝、
屋の主人に教えられた。
彼のことを私は「大将」と呼んでいるので、ここでも「大将」で通す。

東海地方の小さな町で生まれ育った大将は理容師の資格を取った後、
名古屋に出て修行した。かれの最終学歴は専門学校卒。
15年間の修行を経て、数年前に名古屋市内で独立開業。念願の店主に
なった。やっていけるかどうか不安だったらしいが、腕前のたしか
と話術の巧みさでファンを獲得し、連日フル稼働を続けている。

大将は小さな田舎町の高校を出た。同窓会もたまにある。しかし
理美容専門学校の同窓会のほうが活発で、大将はそちらによく顔を
すらしい。人の悪口を決して言わない大将だが、専門学校の同窓メ
バーに対しては時々辛らつになる。

「あいつらは世間を知らない」というのだ。
大将のように名古屋という大都市に引っ越して修行し、ようやく店
になった者の苦労を「あいつらは知らないし、知りたいとも思って
い」らしい。

大将いわく、「あいつら」の多くはそれぞれの町で家業の床屋や
容室を継いでいる。したがって彼らの意識は小さなコミュニティの
かで髪を切る担当が私、という程度の自意識しかもっていない。
業績を伸ばそうとか、二号店三号店をだそうなどとはこれっぽちも
っていない。

その証拠に、次のような会話が成立するそうだ。

A店主「うちの店には毎週髪を切りに来る客が数人いるよ」
B店主「あ~、いるいる。うちでも7人ぐらいはいるよ」
C店主「なにー、それ。うっとぉしいね」
A店主「まぁ、たしかに嬉しくはない」
B店主「だよね」

それを聞いて私は「店主というより雇われ店長の意識だね」と笑
た。いや、まてよ。雇われ店長だってもうすこし意識は高いかもし
ない。なぜなら私が20代のとき雇われ店長になったからだ。

20代のころスポーツ用品チェーンで働いていた私は岡崎の店舗で働
いていた。閉店時刻は午後8時。そのあと1時間ちかい残務処理が待っ
ている。売上やレジの集計、終礼、報告書作りなどがあるのだ。
腹もへるし、遊びたい盛りである。従って午後8時ジャストくらいに入
店しようとするお客がいると「閉店しました」と追い返していた。
ときには7時50分でも追い返していたほどだ。

そんな私がついに店長になった。店長とはお客に対する店の最終
任者であり、業績の責任者でもある、と辞令に書かれていた。
「よ~し、やってやる」と、強烈な自覚がめばえた。
店長就任早々、午後8時の閉店時刻にアルバイトがシャッターを下ろそ
うとしているところへ、ひとりの男性客が入店しかかった。
「閉店しましたので」とアルバイト。「え~」と当惑するお客。
私はレジにいたが、入り口まで小走りに駆けよって「お客さん、ま
大丈夫ですよ、どうぞどうぞ」と店内へ誘導した。

「え~」という顔をしていたのはアルバイト君である。
彼は私が以前やっていたことと同じ対応をしただけだ。なのにいま
私がまったく違う対応をするのをみて、心の底から驚いた顔をして
た。

だが彼より驚いていたのは自分自身かもしれない。
閉店後はボーリング場に行き、毎晩5ゲーム練習をするのが日課だった
私が、そのボーリングよりもお客を優先させたのだから。
「立場が人をつくる」とそのとき思った。

結局、その日のお客はゴルフのロストボールを10個ほど買われただ
けで千円程度の売上である。だがお客が「明朝のゴルフコースデビ
ーの準備がこれでできました」と喜んで帰っていかれたのを私は誇
に思った。

それ以来、「立場が人をつくる」という信念ができあがったわけ
が、今朝、大将の話をきいて信念がゆらいだ。
小さな町の個人商店ではそれが通用しないこともある。だからこれ
らは、「立場と環境が人をつくる」という信念に上書きせねばなら
いだろう。