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特別寄稿:事業づくりは自分づくり

今日は筒井修様の投稿原稿を掲載させていただきます。

(筒井修様:多幸の会会長、和僑会・WAOJE創設者)

1943年、三重県桑名市で生まれた私は中学校を卒業した15歳から5年間、
大企業の工場で働きました。
戦後間もないその当時、中卒者は現場へ、高卒者は事務所に配属さ
るのが一般的でした。高卒と中卒の待遇格差にショックを受けた私
夜間の高校に通いはじめました。給料が上がるのを夢みて勉強する
ちに勉強が楽しくなり、真剣に学びました。夜間高校をトップで卒
すると、奨学金をもらって昼間の大学に行くことができました。
大学もトップで卒業すると引く手あまた、蒼々たる企業が私に内定
くれました。実力を身につければ自分の選択肢は豊かになることを
のころ学習しました。

話を端折りますが、それから数十年経ちました。普通の76歳の男にし
ては充分すぎる資産ができ、会社も息子に委ねて時間のゆとりもで
ました。
金と時間と朋(とも)がいる。そんな我が生涯に一片の悔いもあり
せん。40歳からずっと拠点にしてきた香港の自宅を引き払い、夫婦で
名古屋に戻ってきたのは今年の1月です。これからは人のお役に立つこ
とだけをつとめるのが私の役目だと思っています。

「お金があってうらやましい」などと言われることがあります。
お金に困っている人からみるとそう思えるのかもしれませんが、私は、
「ちがうよ」と申し上げています。
お金よりも人が大切なのです。愛すべき家族や友人の存在ほど人生
豊かさを感じさせてくれるものはないと心から思います。そのため
は、人に必要とされる自分を作らねばなりません。
仕事が順調でお金も何不自由ない人が家族の悩みをかかえて私に相
にこられます。東大やハーバード大学を出て、世界的なシンクタン
に勤めておられるような世間からみれば超エリートが人間関係に困
果てて私のところに来られます。「あなたは今までなにを勉強して
たのか」と言いたくなります。

アジアのある国で起業し、大成功したのに突然の病に倒れ現地で亡
なった経営者がいます。葬儀に参列するため日本円で香典を持参し
ところ「日本円ではいただけない」と受付で言われました。日本に
る家族が誰も参列しないので、日本円の使いみちがないというのです。
奥さんも息子さんもいるはずなのに参列しない。いったい彼の家族
何があったのでしょうか。彼には金があり、事業があり、社員がい
した。しかし、いざというときに駆けつけてくれる家族や友人がい
せんでした。彼の有能さを知る私としては自分のことのように残念
気持ちでした。

日本ではお世話になった老舗食品会社の会長がいます。彼は名古屋
指の富豪で、ご自宅も大正時代に建てられた歴史ある豪邸です。
しかし彼は70歳で熟年離婚しました。家族はみな出て行ってしまい、
住み込みの家政婦さんと二人だけでその広い豪邸で暮らしていました。
彼は「筒井君、また行くからね」とよく香港に遊びに来られました
その都度、喜んでエスコート役をさせていただきましたが、80歳にな
られた会長に同行するのは女性秘書ひとり。秘書には「遊んでおいで」
と毎朝の食事のたびに100万円渡しておられました。彼自身は足腰が弱
り、ご馳走もほんのひとくちしか食べられず、友達がいない。さみ
い香港旅行でした。
他にもそういう人をたくさん知っています。お金は潤滑油に過ぎま
ん。
これから私は「多幸の会」を中心に活動して参りますが、事業づく
はまず人づくり、自分づくりからです。成功して富を手にしてから
分づくりを始めても遅いのです。(多幸の会 筒井 修)