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ある国民俳優のスタイル

「国民作家」といわれる作家たちがいる。最近では宮崎駿や村上春樹がそうだろうし、手塚治虫もそうだった。司馬遼太郎こそが国民作家だという人もいる。
それ以前では夏目漱石や三島由紀夫を推す人もいるだろう。幅広い層から愛され、影響を与えた作家でもある。独自の世界観や国家観をもっている点でも共通している。

では「国民俳優」は誰だろうか。
三船敏郎、勝新太郎、高倉健、石原裕次郎、加山雄三、藤山寛美、女性では美空ひばりや吉永小百合も入るだろう。私は個人的に渥美清を入れるべきだと思う。
毎年暮れになるとお正月映画『男はつらいよ』シリーズが公開され、どの映画館も寅さん見たさに客が押しよせた。日本の年末年始の風物詩ともいえた。

元をただせば1968年(昭和43年)にフジテレビが制作・放送したテレビドラマが寅さんシリーズの始まり。この作品はヒットしたが、最終話で寅次郎が死んでいる。
死因はハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島にハブを取りに行ってハブに噛まれ、毒が回り死んだという結末。そんな結末に対して視聴者から抗議が殺到した。
人気ぶりに驚いて翌年(1969年)松竹が映画化した。当初は5作で完結する予定だったが、1995年まで26年間、48作品続いた。
これを国民俳優と言わずして誰をそう呼ぶべきか。

作家の永六輔と渥美清は少年時代からの悪ガキグループの仲間で、ボスが渥美だったという。ある時、渥美が歩道の鎖を盗んでそれを売ろうとしていたところを警察官に見つかり補導されてしまった。
その時、警官に言われたひとことが渥美を役者にさせたそうだ。

「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。犯罪者になるより、その顔を活かして役者になれ」その渥美少年がのちに国民俳優になるのだから、警察官の眼力も大したものだ。

1928年(昭和3年)、東京府東京市(現・東京都台東区上野)生れ。
本名は田所康雄(たどころやすお)。渥美は秘密主義めいたところがあった。いや、完全な秘密主義といってもいい。周囲に家族のことやプライベートに関する話は一切しなかったらしい。
どこに住んでいるのかも知らない。電話番号だって最小限必要な相手にしか教えていなかった。

渥美の長男・田所健太郎は、ニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄、職業 俳優』と書いた。
担当者は「田所康雄?聞いたことがない。売れない俳優の息子なんだろう」と思ったらしい。後に健太郎が試験に合格し、会社に田所の父親・渥美清が現れたとき社内は騒然となったらしい。
親の七光りを使いたくなかったのだろう。

これだけ個人の謎が多い役者もめずらしい。そんな人を国民俳優と呼んでもよいのか、という気もするが、明日もう少しこの役者とその人間交流をさぐってみたい。

(参考:Wikipedia)