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金もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人

いつからだろうか。NHK 大河ドラマを観なくなった。
以前は必ずオンタイムで観て、録画でも観ていたのに、ぱったり観なくなってしまった。視聴率欲しさのためにトレンディドラマに出るような若いタレントを主人公に抜擢しだしたからだと思う。
NHK は 視聴率を得て、コアなファンを失い、今、視聴率も取れなくなって苦しんでいるのではないか。

「大河のことなら何でも知っている」と豪語する K 氏によれば、2012年放送の『平清盛』が近年まれに見る名作だったという。
だが平均視聴率は歴代ワーストの12%。2015年放送の『花燃ゆ』と並ぶワースト視聴率なのだそうだ。
つまり、視聴率の高さと番組の面白さが正比例するとはかぎらないということ。

私はそれを聞いて、人間も一緒だと思った。
世間で評判が良い人や人気のある人が実力もあるわけではない。
反対に評判が悪い人でも会ってみるとおどろくほど素晴らしいということがある。人の評判ほどあやしいものはない。
今年の大河ドラマ『西郷どん』の視聴率も良くないそうだが、内容がつまらないかどうかは見て判断するしかない。

さて、西郷隆盛の右腕であり、ボディガード役もつとめていた桐野利秋(別名:中村半次郎)は無欲の人だった。

「金もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也」と西郷が言っている。西郷自身がそういう生き方を目指していたが、身近にいる桐野のことを語っていたとも考えられる。

その桐野は剣がめっぽう強かった。若い頃は暗殺をしたこともある。
もちろん戦場でも桐野の活躍はめざましく、黒毛の兜をした桐野を観ると相手はおそれた。
その評判が内外に高まると、なんと桐野はその兜を捨ててしまった。
周囲が訳をたずねると、「虚名を得るは実に恥ずかしきこと」と言い捨てた桐野。

私はこのエピソードが好きだ。そのたびに考える。
「金もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」はいったい何をより所に生きているのだろうか、と。
それは「人」にちがいない。幕藩体制にあっては「藩主」だろうし、藩主にかわる身近な存在に命を預けていたのだろう。桐野の場合は西郷だ。

せっかく「黒毛兜の桐野」というブランディングが出来たのであれば、そのブランドイメージを最大限に利用しようというのが今の常識。
だが、それを「虚名」と恥ずかしがるメンタリティに侍の精神を感じる。
有名になることより実力を養うことに重きをおいていた証拠。今の時代「インスタ映え」だとか「友だちが多い」「いいねが多い」といったこと表面的なことばかりを誇りがちだが、そうした「有名無力」の状態ではなく、「無名有力」を選ぶ生き方があることを忘れないようにしたい。