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死せる孔明、生きる・・・

三国志に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」というエピソードがある。
三国時代、敵対していた蜀と魏が五丈原で激突した。
その陣中にて蜀の丞相・諸葛亮が病没した。それを察知した魏の軍師・司馬懿(しばい)は、諸葛亮のいなくなった蜀軍は弱いとみなし、撤退する蜀軍に追い討ちをかけた。しかし、蜀軍の反撃が意外につよいため、司馬懿はこれを諸葛亮による計略と勘違いし、自軍を撤退させた。この史実をのちの歴史家が「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と表現したため、この言葉が有名になった。

「死せる松村、生ける教え子を走らす」(2/17)

マンダラの松村 寧雄先生が昨年亡くなった。法事は済んだが、教え子が全国から手弁当で集い、先生を偲び、先生から学んだことや先生との思い出を共有した。
53名が集まり、40名がアンケートに協力してくれた。そのうち37名(93%)が「とても良かった」と回答し、32名(80%)が「また参加したい」と回答した。
本人がいないのに、いるかのように周囲が動く。

偲ぶ会で縁者のひとりが「人は二度死ぬ」(永六輔)という言葉を紹介してくれた。

一度目は肉体の生命が活動を止めたとき死ぬ
二度目は人々の記憶から消えたとき死ぬ

だからブッダもイエスも今なお生きている、と。
松村先生の二度目の死がいつになるのか、決めるのはここにいる我々だ、と彼は挨拶を締めた。印象的だった。

ポジティブに言いかえるなら、
「人は二度いきる」
一度目は自分で「生きる」
二度目は縁のあった人たちの心の中に「活きる」

松村 寧雄先生の二度目の人生が始まった。