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経営のプロ

Rewrite:2014年3月21日(金)

婿養子で社長になった方とお会いした。
奥さん方の姓を名乗り、奥さんの父親が経営する会社の取締役として経営参加したのち、社長となった。家庭内でさえ気苦労の多い立場に加えて、企業内でも養子の立場がついて回る。当然、従業員もそうしたリーダーの出現にお手並み拝見とでもいった形で傍観する。やりにくいであろうことは容易に想像がつく。

しかし、それが決して悪いこととはかぎらない。
むしろ養子の立場だからかえって甘えがなく、責任ある経営をする例が多い。実の父親の会社を継いだ後継者は、会社の資産=親の資産=自分の資産と考えやすいのに対し、養子社長は経営を私物化するようなことはできない。先代社長が存命であればなおのことだ。

そういえば、幕末時代において、名君の誉れ高い大名にも養子が多い。
越前の松平春嶽、会津の松平容守、土佐の山ノ内容堂、宇和島の伊達宗城、長岡の牧野忠訓など、積極的に大名たらんとすることを欲した者はすべて養子であった。世襲の大名で聡明なはたらきをしたのは、薩摩の島津と佐賀の鍋島くらいか。「俺は大名としてお家のために足跡を残すのだ」という気概が、養子大名には強かったのであろう。

養子社長と話していて気づくことは、経営成果に対する責任感がオーナー社長以上に強いということ。具体的には、株主配当を支払う責任であったり、株主総会で納得のいく経営経過報告や今後の見通しを発表する責任などだ。第三者に対する経営責任を負う立場の社長は、無意識のうちに、透明性・納得性の高い経営を志す。

サラリーマンから出世して社長になったという場合も、養子のときと似ている。あるサラリーマン社長は、旅費規程で定められているにも関わらず、グリーン車に乗ったことがなく、新幹線はいつも自由席だ。せめて指定席に、と私などは思うのだが、「株主のために無駄な経費は使えない」と言う。

養子になることや、サラリーマン社長をすすめているのではない。立場が異なると、責任感や経営への考え方が異なってくるということだ。
株主のために、経営のプロとして2年契約を交わしたつもりで会社を見直そう。プロ野球の監督のように、優勝請負人として手腕を買われたつもりで組織を見直そう。すべてが自分の所有物ではなく、経営資源の運用を託されたプロとして会社経営を考えることの大切さを改めて強調したいのである。

社長というポストは永遠のものでない。結果が出なければ自分を解雇するぐらいの厳しさで臨みたいものである。