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今週はずっと松村 寧雄先生に捧げます

松村 寧雄先生が亡くなられたショックが癒えません。
メルマガを書こうとキーボードに手を置くと、自然に先生のことを思いだした文章になってしまいます。
先生の存在を過去の思い出にするのでなく、少しでも今生にとどめたいという悪あがきに、もう少しおつきあいください。

昨日は午後6時から虎ノ門のお寺で先生のお通夜が執り行われた。
さすが、と思わせる弔問者の数。
奥様、剛志社長、事務局長の松岡さんなどと、直接ご挨拶できたのは午後7時を回っていた。

「剛志社長!」
ようやく廊下でお声がけできた。
「あ、武沢先生。わざわざありがとうございます」
いつもとかわらない様子ではあるが、あえて気丈に振る舞っておられるのは間違いない。
「ご愁傷様です。とつぜんのことで、おどろきました。言葉もありません」
すると剛志社長は深々と頭を下げられたあと、
「実は、身内ではある程度こうなる覚悟はできていました」と言われた。
「といいますと?」と私。
「歯肉癌だったのです。最初は全摘出が成功して喜んでいたのですが、あとになってリンパまで転移していることがわかって」
「ということは先生もそのお覚悟が」
「ありました。一週間前からは終末ケアも受けて、痛みもなく安らかに息を引き取りました」

その後、お堂の先生に最後のご挨拶をしに行くと奥様がみえた。
「皆さまのおかげで松村は幸せ者でした。それに最後は私に抱きかかえられながら、でしたのよ」
救われる気分だった。

立ち話をしていると、堂内にビートルズの曲が流れ出した。
場所的に違和感を感じたが、「この曲、松村が大好きだったのよ」と奥様。
聞き耳をたてると『ヘイ・ジュード』だった。

・・・・・
Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

ヘイ、ジュード。落ち込むなよ
悲しい歌だって、明るい曲にするくらいにさ
彼女を心に受け入れるんだ
そうすればよくなるさ
・・・・・

この場にふさわしい曲だと思った。
先生はこの曲を好んで聴いた。あるときなどは、この曲にあわせてダンスしながら冥想しておられたこともあるという。

先生は早稲田大学を卒業後、オリベッティに入社された。当時、アメリのIBM とヨーロッパ(イタリア)のタイプライター・オリベッティの戦いは熾烈だった。コンピュータに分があるとみたオリベッティは、独自のパソコンを開発して応戦するなど、ビジネス機器のマーケティング戦争は激しく、松村先生はその最先端で営業活動しておられたわけだ。

その当時、税理士業界のマーケティングに成功した松村先生は、のちに経営コンサルタントとして独立するとき、この業界の支援を受けたという。会社名はクローバ経営研究所という名前だった。
独立してすぐに一冊の本を上梓されたことが先生の人生とビジネスの方向性を決めた。

『経営に生きる仏教システム ビジネス活性化の原点』(ソーテック社)という。

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マンダラを説いたこの本の反響はすさまじく大きかった。東証一部上場会社の社長から連絡が入り、役員会での講演がすぐに決まった。
そのほかにも、後に松村先生の大ファンとして、また、仕事におけるキーマンになられる方々も、すべてこの本が最初の出会いだった。

仏教をきわめよう。ただし、宗教臭くしてはいけない。
仏教にある深遠な知恵から宗教色をとりされば、そこには人生を豊かに生きる知恵だけが残る。私はそれを説こう。
きっと先生はそう決心されたに違いない。
まさに、「40にして立つ」である。先生の猛勉強が始まった。
コンサルティング事務所というよりは、「象牙の塔」に籠もる研究者のような生活が始まった。その鬼気迫る集中力は、家族すら近寄れないほどのすさまじさだった。