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ダ・ヴィンチが選んだペテロとユダ

昨日号で『最後の晩餐』を描いたダ・ヴィンチにまつわるエピソードをお届けした。実はこのエピソードには続きがある。

ダ・ビンチは「最後の晩餐」を書いたとき、イエスの最高弟子・ペテロももちろん描いている。この最高弟子にふさわしいモデルはいないかと、ダ・ヴィンチは連日、町にでて人々を観察した。そしてついにふさわしい人物を見つけ描いたのが私たちがみているあの絵である。

2年近い年月をかけて「最後の晩餐」の13人のうち12人を描き終えたダ・ヴィンチ。最後に残ったのは裏切り人のユダだった。
どういう人間が平気でイエスを裏切るのか。ダ・ヴィンチのモデル探しは難航した。それ故に大寺院の長老が怒り、国王に訴えたわけだが、そのくだりは昨日号にあるとおり。

そしてついにダ・ヴィンチのおめがねに叶う人物と出逢った。
その男を呼び止め、事情を話し始めたダ・ヴィンチは「あっ!」と息を飲んだ。
なぜなら、それは1年以上前にペテロのモデルになってくれた人物だったからだ。ペテロが落ちぶれ、変わり果ててユダになっていたのだ。

聖書によれば、ユダがイエスを売った。そしてイエスははりつけに処された。
そのあとの取り調べでイエスの弟子ペテロは「イエスを知らない」と三回も言った。無関係を装いたかったのだ。その行為はイエスが前もって予告していた通りだった。
鶏の鳴き声を聞いてハッと我に返ったペテロは「なんてことをしてしまった」と悔やみ、涙を流す。
処刑の三日後、復活したイエスはペテロの前に表れ、こう言った。
「私を愛しているか」。イエスの愛に触れたペテロは悔い改め、使徒のリーダーになっていく。

一方、イエスを売ったユダは悔い改めることをしなかった。
無実の好青年を死刑に送りこんで後悔の念はあっただろうが、それは悔い改めるほどの強い反省ではない。

1498年、ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」を3年かけて完成させた。
イエスの死後、約1500年の後のことである。
天才芸術家、ダヴィンチが最高の弟子ペテロと最悪の弟子ユダのモデルを奇しくも同一人物にしたところに深い意味がある。

だれしも神に愛される自分と、神に天罰を受ける自分とが同居している。悔い改める人はペテロになり、後悔しかしない人はユダになる。
だが、外からみれば顔は同じだ。

(情報提供者:兵庫県の K さん、男性)