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誘惑を乗り越えるもの

才能を活かすも殺すも誘惑に対処する力次第だ。経営者は、誘惑に負けてはいけない。いや、正しく言えば、自らを誘惑してはならないし、その誘いに乗ってはいけない。

洋の東西を問わず、「習慣は第二の天性なり」という格言がある。
Custom is another nature. とか Habit is a second nature.などとも言う。イギリスの軍人であり政治家でもあったウエリントンは、「習慣は性質の10倍の力を備えている」とも断定した。
いずれにしろ、習慣のもつ力は偉大なものであり、良き習慣を身につけ、悪しき習慣を排除する力をもつことができたら人間は何でもできる。

先ごろCD付き絵本を発売した元横綱・貴乃花は、まだ幕内に上がって間もないころ「ここだな発想」を自分に言い聞かせていたと言う。

これは、練習が厳しくてついつい休みたくなったときに、「自分の殻を破るのは“ここだな”と自分に言い聞かせ、もう一番ぶつかっていく気力をふりしぼったという。
若くして自分を知り尽くしていた彼ならではの「ここだな」発想である。あなたにとっての「ここだな」はどこだろうか。
真剣にやるべきときには脇目もふらずに真剣にやれる力が重要であり、それを習慣の一部、天性のものにしてしまえば無敵だ。

確かめたわけではないが、吉田松陰の生涯は、異性としての婦人をしりぞけた生涯だったという。司馬遼太郎の「世に棲む日々」にこんなエピソードが記されている。

ある日松陰は、書見台で四書五経を素読していた。ところがやがて若き血が鬱積し、欲情が高じてくる自分に気づく。
(そして、その後の彼の行動が、私から見れば常軌を逸している)
小刀で自らの股を切って血を抜き、懐紙でぬぐった後、何もなかったかのように、再び読書に励んだというのだ。

松陰の場合、横綱・貴乃花の「ここだな発想」をも超越した、無意識の習慣そのものが偉大だ。

広辞苑によれば、誘惑とは「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと」とある。だが、人を誘うばかりが誘惑ではなく、私などは自分が自分の誘いに乗ってしまうことも多い。

・仕事中、ちょっと一服といいつつも、ソリティアに1時間
・気分転換といいつつも、ネットサーフに3時間
・ちょっと仮眠といいつつも、熟睡2時間
・ちょっと本屋といいつつも、買い物に数時間
・軽く一杯といいつつも、帰宅すれば午前様

このように誘惑に負けることが多いが、そこが業績の限界となっている。吉田松陰の真似はできないが、せめて貴乃花の真似をしたい。

遠藤周作の『ただいま浪人』には、次のような一節がある。

「情熱を持続するには危険が必要なんだ。ちょうど恋愛の情熱がさめるのは安定した時であるのと同じように、人生の情熱が色あせるのも危険が失せた時だよ。革命はまだ危険という油を俺達の情熱にそそいでくれる。」

情熱的であるためには、絶えずある程度の危険や革命という要素が必要である。

これらの情報を総合すると、つぎの三つの法則が生まれる。

・情熱の不足が誘惑を招く
・危険(リスク)と魅力ある仕事が、誘惑からあなたを遠ざける
・危険と情熱は正比例し、情熱と誘惑は反比例する