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続・ K社長の人事ミス

昨日の続きを書くわけだが、その前にある会社の話をしたい。
スポーツ用品の専門店チェーンとして急成長した O 社は業界二番目のスピードで株式を店頭公開した。愛知県に本社を置き、東海地区で基盤を固めたあと関東に進出。その後、M&A も行い一気に全国展開した。

社長の H 氏は2代目経営者。38歳のときに父から継いだときは商店街に一店舗だけある運動具店に過ぎなかった O スポーツ。
H 氏が会社を大きくした。スポーツ用品店とスポーツジムの併設施設を多店舗展開するという非常に斬新なアイデアがヒットしたのだ。

H 社長は勉強熱心で、チェーンストア理論を学び、アメリカにも何度か渡って研究を重ねた。銀行の支援も得ながら急成長した O 社だが、株式を店頭公開したくらいで満足するわけがない。一日も早く名証二部上場そして一部、さらには東証一部上場という青写真を思い描いていた。「もっと成長スピードを加速せねば」という焦りがあったかもしれない。

当時、スポーツ用品売上の半分はスキーだった。冬の降雪状況に大きく業績が左右されることから、通年で安定収益が見込める新事業を模索した。そして経営会議で決まったのがエステ事業への参入だった。

H 社長以下、他の役員全員がスポーツ万能だった。特にスキーに関しては全役員が指導員の資格をもっていた。スポーツをこよなく愛してきた経営陣がある日を境にエステ経営に乗り出す。当然、分からないことだらけ。そこで H 社長はエステ大手の元社長の M 氏をヘッドハントした。

ここまでは間違っていない。だが、そのあとに間違いを犯した。
エステ専門の新会社を起ち上げ、M 氏を社長に据えたのである。
M 氏は75歳という高齢だったが、品のよい紳士だった。この人なら申し分ないと誰しもが思った。だが、現場を離れて数年経っていたことから、以前の経験知があまり役に立たなかったようだ。

H 社長はさらに二つ目の間違いを犯した。
土地勘の乏しい東京をエステの主戦場に定め、M 氏に任せた新会社の本社も東京に置いたのだ。O 社の本社がある愛知県から遠く離れていたこともコミュニケーションが希薄になっていく原因になった。

東京でのエステ事業は計画通りに出店していき、一年で10店舗つくった。だが利益が出ない。その後も出店だけは計画通りに続けたが、売上が伸び悩み、累積赤字だけが毎月膨れあがった。
ついに三年目で M 社長を解任したとき、O 社本体も傾いていた。その翌年、O 社は倒産・破産した。

「外から来た新参者に新しい大きな仕事を任せてはいけない」という教えが無視されたとき、このようなことが起こりうる。

昨日号で K 社長が雇ったコンサルタントや、今日の M 氏のような元経営者という方はアドバイザー的な立場で相談に乗ってもらうか、仮に現場リーダーを任せる場合でも、社長直轄でコントロールしておくべきである。

それを忘れたとき、こうしたケースが起こる。

最後に『マネジメント・フロンティア』(ドラッカー)の一節を引用して本稿を終えたい。

「地位の高い新参者には、まず何が期待されているかが明らかな仕事、少なくともそれを明らかにすることのできる仕事、しかも新しい不慣れな環境で問題に直面したとき、手を貸せるような、確立された既知の仕事を割り当てるべきである」

心得ておきたい。