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筒井会長を取材して

2014年 2月 1日(土)、朝日新聞の朝刊「on Saturday be」の一面トップに「和僑会」の筒井修会長の顔写真がでかでかと載った。香港の目抜き通りの歩道橋で傘をさし、歯ぐきをむいて呵々大笑する筒井会長の姿はどこからみても華僑の人。とても桑名出身の根はシャイな日本人とは思えない。

そんな筒井会長が注目される理由は「和僑会」の活動。海外に挑戦する日本人起業家を助けるためのネットワーク組織のことであり、香港で 2004年に設立された。それが現在ではアジアを中心に 18都市に支部ができるまでに成長した。

だからといって、今日は和僑会のことや筒井会長のことをご紹介するわけではない。主題は別のところにある。

私も和僑会設立時から「顧問」としてお手伝いし、「がんばれ!社長」上海オフィスを構えるなど和僑とともに、アジアにシフトする時期があった。一時は常州市政府のホームページに「がんばれ!社長」原稿を翻訳掲載したいと打診が来たこともある。OK を出したら州政府から中小企業展というイベントに無料出展のご招待をいただいた。ブースがあまりに広すぎるので、日本の企業を何社か同伴して共同出展したものである。

しかし、その後は私も上海オフィスを引き払い、中国との関係が疎遠になったことから、自然に和僑会とも距離をおく形になっている。だが、筒井会長をはじめ、初期の和僑会メンバーとは今もなお個人的なつながりが強い。Facebook のおかげで、海外にいながらも毎日のように接触している人も少なくない。また、日本実業出版社の『経営者会報』で社長との対談コーナーをもっていたとき、トップバッターで対談をお願いしたのも筒井会長だった。

初めて筒井会長とお目にかかったのは和僑会ができる前年の 2003年1月のことである。共通の知人の紹介だった。それ以来、会長が日本に定期帰国されるたびに連絡をいただき、名古屋の新幹線ガード下にある「おでん屋」で一杯やる。それがもう 11年続いているわけだ。

したがって二人の関係は兄貴と弟のようなもので、なんでも話せるありがたい関係になった。だから冒頭のような礼に欠ける表現も許していただけるのだと思う。

そんな筒井さんに「小説のモデルになってほしい」と電話でお願いしたのは先週の火曜日のこと。「本気か?」と聞かれたので「本気です」と答えると、「僕の人生は人に言えない失敗談ばかりだから」と笑いながら躊躇しておられた。そこで私は、「実名を出さないことと、フィクションであると明記します。でも私の前では本当のことだけを話してください」とお願いした。「じゃあ、今週末に 2~ 3時間差し上げる」となり、ホテルのロビーで 3時間インタビュー取材させていただいた。

とても 3時間の取材では一冊の本は書けない。ある程度の基礎情報を知っているから書けるわけだが、筒井さんもいきなり「つきあいが長いんだから、適当に書いておいてくれよ」とおっしゃる。だが、こちらが真っ新なノートとペンを取り出したのをみて観念されたのか、子どものころの思い出から語り始めてくれた。

すると、豈図らんや(あにはからんや)、知らない話が続々出てくる。メモがとても追いつかないほど出てくる。話しておられる筒井さんご自身もハッとしたように「そういえば、僕の原点はそのとき見た事務員さん達の姿なのかもしれんな~」と言う。本人も忘れかけていた場面を思い出す。こちらにとっては初めて聞くできごと。そんな話が次から次に出てくる。興味が湧くから追加の質問をすると、それに答えつつ筒井さんの記憶がよみがえってくる。そんなことをするうちに、筒井さんのサラリーマン時代(40歳)までで 3時間を使い切ってしまった。まだ筒井さんが香港に飛ぶ前のところである。筒井さんの第二の人生、そして真の人生は 40歳で香港に渡ったところから始まるのだが、その日はタイムアップ。明後日(2月19日)に香港に帰られる筒井さん。今日か明日のうちに、もう 3時間捻出してもらわねばならない。

それにしても、”その人を小説にしたい” と思った瞬間、いままで何を聞いていたのか唖然とするほど、その人のことを知らないことに気づかされる。同様に、自分のことを小説にしようとしたならば、同じく唖然とするほど自分のことを知らないことに気づくだろう。

知ってもしようがない、聞いてもしようがない、と思っていることをあえて聞く。遠慮せず聞く。しかも真摯に聞く。それは相手に対する最高の誠意のひとつであろう。そのせいかどうか、「たけちゃん、これを奥さんに渡しなさい」と、ロビーの売店で和菓子を買っていただいた。過去 11年、そんなことは一度もなかったのに。