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失敗におびえるな、日本の社長

外国で仕事をしている経営者と話していると、ときどき、違和感を感じることがある。そして思い出す。「あ、そうだったんだ。アジアもアメリカも、アセアンもヨーロッパも経済が好調なんだな」ということを。増収増益なんていうのは当たり前の話であって、いかに早いスピードで成長できるかということを真剣に考えておられるのだ。

もちろん日本にもそういう経営者はたくさんいるが、国の経済成長力でみるかぎり、日本は成熟したまま踊り場にいる。開業率は約4%と諸外国のなかで圧倒的に低く、廃業率も低いので会社の総数は変わっていない。たとえばアメリカの場合は開業率が10%前後もある。廃業率も10%近くあるので会社の総数は少し増えている程度である。

「少産少死」の日本と「多産多死」のアメリカ。熾烈な競争環境のなかで高い新陳代謝と経済のダイナミックさを生みだしているのは、「多産多死」の社会だろう。淘汰される側にまわってしまったとしても、その教訓を活かして再び起ち上がることが許される信用経済システムも機能している。それがアメリカだ。

一方、「少産少死」の社会は、ひとたび淘汰されようものなら、二度と再起のチャンスが与えられない。硬直的な信用経済システムが働き、社会全体が失敗者を疎外しているようにみえる。

ここ数年の短期スパンでみたとき、日本では大企業の数は微増しているものの、中小零細企業と個人事業主の数は減少に転じた。これは人口減少社会と同列に論じるべき由々しき社会問題である。人口が減って、それにあわせて会社やお店の数も減っていけば、税収は先細りし、経済は縮小あるのみではないか。人間も企業も少産少死という国家に活力は望めない。

「中小企業庁」→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=4712

必要以上に失敗をおそれてチャンレンジをためらうのではなく、果敢に挑戦することそのものを評価する世の中にしよう。チャンレンジの結果が思わしくなく、事業に失敗したとしても再起を計ればよいだけだ。そういう信用経済社会を作ってくれと政治家にも訴えたいが、民間で出来ることや、各自の心構えでできることも多いはず。

以前、「うちでは、支払い事故歴は一生消えませんよ」と周囲に吹聴しているクレジットカード会社の幹部がいた。自慢げにそう語る様子は、貸す側の不当なまでの強さを誇っているように思えて残念だった。金融機関は支払い事故歴を5年から10年で抹消することになっている。だが、個人の延滞常習者と事業主がチャレンジした結果、支払い不能に陥ったものとを混同して信用管理していることに疑問を感じる。事故の内容を査定すべきではないか。また、10年以上にわたってブラックリストを保有し、審査に活用している金融機関もある。そうしたことも是正されていくべきだろう。

世間の目も大切だ。起業に失敗した、会社を倒産させた、という経歴をもつ人を「敗者」と見なしがちだが、それも避けたい。結婚生活におけるバツイチ、バツニの印象が今や勲章に近いものに変わったように、事業でうまくいかずに撤退した人にもそのようでありたい。

世間の目もさることながら、本人の自覚がとても大きい。日本人がもつメンタリティに「自責の念」がある。仕入れ先にご迷惑をかけた、お客様や投資家に損をさせた、といった自責の思いが日本特有の夜逃げを助長する。アメリカにも「moonlight flit」といって夜逃げはある。中国でも経営者の夜逃げは日常茶飯事だ。だが、諸外国の夜逃げは、主に債務者や役所から逃げることだけが目的だが、日本の場合はそれだけではない。おめおめとこの町で暮らしていけないという心情的な意味合いも強い。それがひどい場合になると、寒村や海外にまで逃避したり、自らの命を絶とうとする人まであらわれる。

そうした必要以上の自責の念があることが企業数の「少産少死」の遠因になっていると考えられる。

まず、私たちは認識をしっかりもとう。

株式会社(有限会社でも)を経営する者の責任は、有限責任であるということ。出資した分をすべて失うこと以上の責任は社長にはないのである。もし借金などの担保を差し出しているのであれば、それを失うこともあるが、出資分+担保分以上の責任を背負いこむわけではない。法律がそう定めているのである。

「とはいっても狭い町だし、ご迷惑をかけたという責任は一生消えない」と社長自身が思っていては会社経営などやれなくなる。失敗するリスクもあれば、成功してご褒美を得るチャンスもある。どちらもそれを理解した上で取り組むのが会社経営であり、皆、それはお互い様なのだ。

一度や二度や三度失敗したところで大したことはない。ずいぶんと年をくってから失敗してもどうってことはない。

たかが事業でうまくいかずにお金がなくなり、同世代のサラリーマンより見劣りする生活を余儀なくされただけのことではないか。そんなことでしょげ返っていては家族も社員もいい迷惑だ。元・社長が会社を倒産させて、コンビニで明るくレジを打っていても良いではないか。元・社長が寒い夜中にジャンパーの襟を立ててキャバレーの呼びこみをしていてもいいではないか。再起を計って目が輝いていさえすれば。

責任感と責任は別問題である。責任感が旺盛なことは立派だが、生涯にわたって重い十字架を背負いこむような責任など私たちにはない。

むしろ、さっさと次のステージに進んで成功していただくことの方が本来の責任なのである。