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家出の思い出

●はじめて家出をしたのは16歳だった。それ以来、私はずっと家出をしたままなのかもしれない。

最初の家出はもうすぐ高三になろうという春休みのことだった。その半年ぐらい前から家出願望はあったのだが、本当にそんな日が来るとは正直なところ思ってはいなかった。

●その日の夕食で母と言い争いをした。自分の部屋にもどり「今日こそ決行する」と決めた。
ボストンバッグに洗面具と衣類を詰めこみ、家出の準備を始めていたら、「兄貴、なにしてるの?」と弟に見つかった。
「ん、ちょっと家出する」と私が言うと、すぐに母に言いにいこうとした。
「待て。1時間だけ内緒にしておいてくれ」と弟にだけは行き先を告げた。引き出しに隠しておいた一万円札を三枚財布に入れて、大垣駅に向かった。その30分後、東海道本線(上り)普通列車の自由席に座っていた。

●大垣駅から横浜で乗り換え、淵野辺駅(神奈川)に向かった。ここに親戚がある。中学のとき友人を連れて遊びに来たことがあり、心当たりのある親戚がこの町でお寺をやっていた。

子供のときからずっと「良い子」「賢いお兄ちゃん」「優良児童」を期待され、それを演じてきた私にとって、家出して一人で夜行列車に乗るなど、不良万引きグループに入るぐらいの一大決心だった。

●午前 5時前、淵野辺駅に到着した。あたりはまだ真っ暗だし、親戚に電話するにも早すぎる。あたりをみたら、明るい場所は深夜映画館だけだった。成人映画のようだったが、とにかく寒いので中に入って時間をつぶすことにした。
劇場内には10人ぐらいのお客がそれぞれ適度に離れて座っていた。私は一番うしろの壁にもたれてぼんやり立って時間をつぶそうと思った。

●初めてみる成人映画、しかも外国製のようだ。かなり驚いていたら、膝のあたりに妙な感じが走った。何だろうと自分の膝をのぞいてみたら、いつのまにか見知らぬ男性が私の足元にしゃがみこんでいて、私の膝の上のあたりをサワサワさわっていた。怖くなって外へ出ようと思ったが、まだ真っ暗なので、劇場最前列のど真ん中の席に移動した。
幸い、さっきの人はついてこなかった。

●それにしても最前列は、首をほぼ真上に見上げなければならずスクリーンの画像も粗くて何をみているのか分からなくなり、やがて眠りこけてしまった。
1時間ほど眠っただろうか、外はボンヤリ明るくなり始めていた。映画館の入り口横にある電話ボックスから親戚に電話を入れて迎えにきてもらうことにした。

●二度目の家出はその翌日だった。

親戚のおばちゃんの家にはすでに昨夜のうちに母から電話が入っていた。「息子が行くからよろしくね」ということだったらしい。きっと、弟が口を割ったのだろう。

「ノブユキ君、春休みいっぱいはおばちゃんの家でゆっくりしていくといいわ。このあたりは公園も湖もきれいだし、東京観光も日帰りで充分行けるからね、ゆっくりするのよ」私にとっての大冒険は、親たちからみれば孫悟空の手の平だった。

●これでは「決心の家出」が一転して、「おばちゃんちへの一人旅」になりさがる。もうひとつ奮起せねばと翌日の昼、おじ・おばの前に正座してこう告げることにした。

「大変お世話になりました。私は今からここを出発して北へ向かいます」
「北?どこへ行くの?なにかアテはあるの?」
「なにもありません」

●その日、淵野辺から上野を経由し、奥州・平泉まで行った。移動の途中、東北は夜になり列車の窓からかすかにみえる景色は山と針葉樹と横なぐりの雪だけだった。私にとって初めての東北はみるからに凍てついたダークグレーの世界だった。
「アテはなにもありません」とは言ったものの、内心では平泉の中尊寺を見るつもりでいた。そこに何があるのかは知らないが、藤原三代の栄華をしのぶ中尊寺をみたい。その前年の歴史ドラマの舞台にもなっていたはずだ。

●平泉に着いたら午後 6時だった。駅前にも雪がかなり降り積もっていたが、「ステーションホテル」に宿をとった。二段ベッドがふたつ置いてある四人用の相部屋に入った。すでに一人、先客がテレビを見ていた。
いつもの見覚えある男性キャスターが夕方のニュースを放送していた。
私は食欲がなかったので、そのままベッドにもぐりこんで朝まで眠った。

●その翌朝のことである。雪原で一人、私は雪にうずもれた。

<つづく>