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招き猫のはじまり

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昔々、江戸の町にとても貧しい禅寺がありました。ひっそりと二~三人の雲水だけが修行し、檀家のお布施によって辛うじてお寺の運営を維持していました。
この寺の和尚さんは大の猫好きで、ただでさえ粗末な自分の食事を割いて猫に与え可愛がっていました。

●ある日、あまりに貧しいので和尚さんは猫に向かってグチを言いました。

「おい猫よ、もしお前が私に恩を感じるならば、何か果報をもたらしてみよ」

でも猫は何も答えませんでした。

●それから何か月か経ちました。
夏の日の午後でした。
門の周辺が騒がしいので何だろうと思って行ってみると、鷹狩りの帰りとおぼしき数人の武士がそこにいました。

ひときわ風格のある立派な武士が和尚にむかって言いました。

「我ら、今、寺の前を通りすぎようとしたら、門前に一匹の猫がうずくまり我らを見上げてしきりに手招きしておる。その様子があまりに不審なのでここまで尋ね入った次第。しばらく休憩させよ」

●和尚は一行を歓迎して、休憩所で渋茶などを振る舞いました。

すると、先ほどまでの晴天がうそのように曇りだし、たちまち激しい夕立が降りはじめました。ついには雷鳴までもが加わってすぐにはやみそうもありません。

手持ちぶさたは失礼と、和尚は三世因果(過去・現在・未来の因果関係の法話)の説法をしました。それを聞いて武士は大いに感銘し、仏教に帰依したいと申し出ました。それどころか、この寺の檀家になりたいとも言ってくれました。

●和尚はびっくりしました。念のため、武士の名前を伺うと、武士は「我こそは、江州彦根の城主、井伊直孝なり」と名乗りました。

初代・井伊直政に次ぐ二代目彦根城主で、彼のずっとあとに安政の大獄を取り仕切った大老・井伊直弼が生まれています。

●井伊直孝は言いました。

「猫に招き入れられたおかげでこうして雨をしのぎ、貴僧の法談を聞くことができた。これもひとえに仏の因果だろう。これを機に、いろいろ世話になりたい」

この時から井伊家の江戸における菩提寺はこの寺に決まりました。この日以来、この寺は吉運が開き、やがて井伊家から莫大な寄進が寄せられ、一大伽藍を形成する立派なお寺になりました。

寺の名を「豪徳寺」といい、今の東京都世田谷区にあります。

●猫はやがて死にました。しかし猫が吉運を招きいれたとしてこの寺を人々は猫寺と呼ぶようになりました。また、和尚も猫のために墓を建ててやりました。

さらに後生のためにこの猫の姿を再現した「招福猫」(招き猫)を作り、家内安全・商売繁盛・心願成就を祈念するシンボルとしました。

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●以上が「豪徳寺」の招き猫の由来である。私も先日、下北沢で仕事を終え、小田急線に乗って5分の「豪徳寺」駅で降りた。駅から豪徳寺までは徒歩10分だが、正門が駅と反対側にあるため、ぐるっと半周せねばならない。だから駅から門までは合計20分かかる。こんなことなら最初からタクシーにすれば良かったと思いながらも豪徳寺に入った。
曹洞宗の寺で広大な敷地の手入れは充分行き届き、さすが井伊家の菩提寺という風格がある。

●お参りを済ませ、招き猫を買った。
そのあと、井伊直弼のお墓にお参りし、外に出た。ここから徒歩15分程度のところに松陰神社がある。安政の大獄で井伊直弼によって断罪処分になった長州藩士・吉田松陰を祭ってあるのだ。

処刑した方の寺と、された方の神社がこんなに近くにあって良いのかと思うが、とにかく松陰神社にお参りした。
本家の松陰神社は山口県萩市にあり、何度もお参りしたが江戸の松陰神社はこの日が初めて。

●行ってみて驚いた。

なんと境内に松下村塾の塾舎が再現されてあったのだ。もちろん本物は萩の松陰神社内にあるので複製されたものだが、松陰先生のなごりをここ江戸の地にもという明治の元勲たちの思いがここ世田谷に残っていた。

●招き猫伝説と井伊家と吉田松陰。

そんな不思議な半日歴史トリップを済ませ、東急世田谷線「松陰神社前」駅から「三軒茶屋」を経て渋谷に出た。そこからはいつもの大都会・東京だった。

※「招き猫」の由来については諸説あって、どれが定かなものなのか分かりません。
※井伊家の菩提寺は彦根の「龍潭寺」と、東京の「豪徳寺」と言われています。

★豪徳寺
http://www.kmine.sakura.ne.jp/tokyo/jinjyabukaku/goutokuji/goutokuji.htm

★松陰神社(世田谷)
http://www.shoinjinja.org/