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ある中国人の物語

●勉強はできないし飽きっぽい。特にめだった才能はないようにみえる。取り柄といえば、身体が大きくてハンサムなところ。
俳優になれば成功しそうな彼の名は張敏(ちょう びん、仮名)。北京生まれの北京育ちの男性だ。

●張さんの数少ない特技は、車の運転である。機械に詳しいこともあって、ちょっとした故障なら自分で直してしまう。道具さえあれば、板金や塗装もできた。

●運動神経や判断力が発達しているのだろうか、誰よりも早く裏道をみつけ、最短時間で目的地に着くワザももっていた。おまけに事故は決して起こさない。そんな特技が店主に認められ、北京でも屈指の中華料理店の送迎運転手を仕事にしていた。

●容姿がいいので、お客の評判も上々だった。特に若い女性のウケがよく、チップをもらったりプライベートでの食事の誘いを受けることも多かった。だが、誘いはすべて断った。なぜなら、このとき28才になる張さんにはフィアンセがいたからだ。彼女の名は梅(メイ)さん。

●二人は小学校・初級中学(中学校)と同じ学校だったが、高級中(高校)からそれぞれ別の進路を歩みはじめた。
梅さんは日本の沖縄にある大学に留学した。卒業と同時にそのまま沖縄の金融機関に就職したのだが、二人は手紙や電話で愛を育んできた。

●ある日のこと、張さんが運転手の仕事をやめると言いだした。
突然のことだったので店主が驚いた。

「あたなにどんな仕事ができるというのか?給料が不満なのか?幾ら欲しいのか?」

張さんはこう言った。

「食事も付いて、手取りで3,000元(36,000円)という月給に不満はありません。むしろ恵まれていたと感謝しています。できれば、このままここでずっと仕事をしたい。だけど、私は来月から日本に行って仕事をします」

●店主はまたもや驚いた。

「何?日本に行くだって?いったいあなたが日本でどんな仕事ができるというのか?そんなに日本は甘くないぞ。考え直せ」

張さんは笑ってこう答えた。

「私は来月、結婚するのです。北京で式をあげて旅行で日本に行きます。フィアンセが沖縄で働いているので、私も沖縄で仕事を見つけ、しばらくはそのまま日本で暮らします。もちろんいつかは北京に帰ってきますから、その時また運転手で雇ってください」

●店主は納得した。
すすんで仲人も引き受けてくれた。張さんを日本に送りだすときには、豪勢な祝儀をはずんでくれた。船のなかで袋の中味を確認したら、何と月給と同じ3,000元も入っていた。張さんは店主の気持ちがうれしくて涙がこぼれ出た。
「きっと運転手としてまた帰ってきますから」と口に出していた。

●こうして張さん夫妻の沖縄生活が始まったのは20年前の1990年のことである。

梅(メイ)さんは沖縄の銀行(本部)で働いていた。才色兼備とは彼女のことで、大学在学中に「ミス泡盛」「ミス糸満」にも選ばれていた。
また得意の陸上競技では、やり投げで記録を次々に更新するスポーツウーマン。学校の成績はいつもトップで、高度なコンピュータ・プログラムを作ることができた。おまけに一級簿記と英検一級の資格も取り、日本語と英語ができる北京美女だった。

●そんな梅さんと張さんの新婚カップルは那覇でアパートを見つけることからスタートした。つつましい生活だった。梅さんの月収は手取りで25万円だったが、張さんの方はなかなか仕事が見つからない。
家計は苦しかったが、それでも節約して毎月5万円は貯金した。

●張さんのおこづかいは一ヶ月で2万円しかない。一日700円だが、昼食代以外に使い途はないので別に困らなかった。
むしろ時間を持てあますことに辟易としはじめていたので、梅さんのすすめにしたがって、図書館に通って日本語の勉強をすることにした。

●ある日のこと、図書館でDVDを見ていたら中国語で話しかけられた。
彼は雲南省出身の男性だったが、すぐに仲良くなり、二人でパチンコ店に行くことにした。
張さんにとって初めてのパチンコ店は耳が痛くなるほど騒々しい所だった。こづかいがないので、プリペイドカードは1,000円のものしか買えなかった。友人の説明を受けて、すぐにやりはじめた張さん。

●「おそらく一発目の玉だった」と後に張さんは語っている。

すぐに中央のデジタルが回り始め、「3」が二つ揃ってリーチがかかった。あとはど真ん中で回転している数字も「3」ならば、綺麗に三つ3が揃う。つまり大当たりだ。

●ドキドキしながらリーチアクションをみていたら、何と、「3」で止まってくれた。本当の大当たりになった。

「ウワーッ!」と声が出た。

それからというもの、お店全体のパチンコ玉が張さんの台に集まってくるほどに玉が出続け、ドル箱(出玉を入れる箱)がどんどん足もとに積み重なっていった。ふと自分の台番号をみたら「333番台」だった。「3」ばっかりだ、沖縄でのラッキーナンバー「3」なのだとそのとき思った。

●友人もとなりで一緒に興奮している。いや、友人だけが興奮し、このとき張さんは頭が真っ白だった。閉店(23時)の「蛍の光」を聞いてようやく我に返った。

「しまった!夕食はいつも21時からだ。妻が待っている。きっと怒られる」
あわててカウンターに行って換金したら、ちょうど20万円だった。誘ってくれた友人に2万円あげたら、ひどく喜んでくれた。

●「うれしい、びっくり、こわい、楽しい、またやりたい・・・」
そんな気持ちで自転車で家に帰った。案の定、梅さんが待っていた。
怒っていたのではなく、心配して北京の実家にまで電話して「帰ってないか?」と確認していたらしい。

●「心配したよ、あなた。もう少しで交番に行くところだった。連絡ぐらい入れなさい。なに、そのお金?パチンコ?そんなお金なんか全然うれしくない。私は要らないから今すぐ返して来なさい!」

もちろん返さなかったが、夜、布団のなかで張さんは別のことを考えていた。

●「なぜ私は勝てたのか?」「どうしたらこれからも勝てるのか?」
「これを仕事にすることは可能だろうか」と。

妻が受け取らなかった18万円を元手にして、パチンコのプロとしてやっていく方法を研究しはじめた。

<明日につづく>