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地方色を感じるとき

●一昨年、日本全都道府県を踏破した。
「県民性の違いなどは感じますか?」と聞かれるが、ボーダーレスの時代なので、どこも表面的には目だった違いはない。

だが、その土地の方々と話し込んでいくと違いがみえてくる。

山口県(長州)には論客が多く、鹿児島県(薩摩)には議論を好まない人が多い、と司馬遼太郎さんが小説に書いていたが、それは私も実感した。
かつて開催していた「長州非凡会」ではお互いの自己紹介が延々と続くが、「薩摩非凡会」ではアッという間に終わってしまう。そんなあたりに、県民性がうかがえる。

●また戊辰戦争で薩長の官軍が、徳川の佐幕藩を蹂躙した。

会津白虎隊は最後まで闘い、青少年の多くが自決した。したがって福島県人、とくに会津の人たちは長州・山口に対して腹に一物もつ人が少なくない。「もう古い話だから和解しよう」と言った福島の政治家がリコールされたこともあるそうだ。

また、山口と福島の男女が結婚すると、結婚式が必ず荒れると聞いたこともある。

●そんな地方色も徐々に薄まっているのだろうが、ある日、大阪でこんなことがあった。ひと仕事おえて有志で夕食会をひらいた。それもお開きになり、皆でカラオケに行った。

●私はいつものように読売ジャイアンツの応援歌『闘魂こめて』を予約した。

・・・
闘魂こめて 大空へ
球は飛ぶ飛ぶ 炎と燃えて
おお ジャイアンツ
その名 担いて グラウンドを
照らすプレイの たくましさ
ジャイアンツ ジャイアンツ
ゆけ ゆけ それゆけ 巨人軍
・・・

Aさんが、「ここは阪神タイガースの本拠地でっせ」と笑いながら抗議したが、たとえそこが大阪だろうが、名古屋だろうが、東京であっても、福岡でも札幌でも香港でも上海でもバンコクでも私は、「闘魂こめて」を絶唱してきた。先月の山形でもそうした。

というか、これしか知らない。

●「武沢さんといえどもそれは許されへん」とAさんは対抗するかのように『六甲おろし』を予約した。

・・・
六甲おろしにさっそうと
蒼天かける日輪の
青春の覇気うるわしく 輝く我が名ぞ阪神タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神タイガース フレ フレフレフレ
・・・

●やがて「闘魂こめて」の前奏がはじまり、映像も流れ始めた。

私はA社長に「実は六甲おろしも好きなんですよ。それに巨人も阪神も応援歌は同じ作曲家なのを知ってました。曲も詞もいいし、映像もかっこいいですよね」と言いながら立ち上がった。

●マイクを持ってさあ歌おうというときになって異変に気づいた。
「うわ、これがアウェーの洗礼なのか」と思い知らされた気分だ。

なんと、「闘魂こめて」の映像に巨人選手が一人もでてこない。どこかの高校生が野球の練習をしている場面が淡々とでてくるだけ。巨人の選手がでてこない『闘魂こめて』など、大阪以外では見たことがない。

●戦時中には警察による検閲が行われたが、それを思いだした。
あの情報検閲がきびしい中国大陸でも流れている巨人軍選手の勇姿がここ大阪では流れないのだ。

関西人の心意気というべきか、シャレというべきか。
仕事を終えてトンボ返りする出張だけでは味わえない地方色を感じるのが旅の楽しみである。