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クイズの正解

●昨日号は息抜きにクイズ形式の文章をお届けした。

配信直後からメールがきた。「直後」ということばがふさわしいほどの「直後」であり、その早さと同時に全問正解されていることに肝を冷やした。回答者は関東でコーチングをされている女性である。

●その数分後にも関西のデザイナーからメールが来た。彼は五問中四問に正解していた。「問題が簡単すぎたか?」と思っていたら、その後も続々とメールが届き、結局、全問正解者は、最初の女性だけだった。なかには全問不正解という猛者も二人いた。どうやら昨日のクイズは適度な難易度のようである。

●だが、「社長、今日の原稿OKです」と原稿チェック担当のスタッフにまで言われたときには軽いショックを受けた。明らかに誤字を紛れ込ませてあるのに・・・。

「もう一度よく読んでよ」とお願いしたのだが、「やっぱりどこにも問題ありません」と断言された。うれしいような寂しいような複雑な気分だが、気を取り直してそろそろ昨日号の正解に入ろう。

●私はこの年(57)になるまで、アイスクリームコーンの「コーン」とは、コーンフレークのコーンと同じく、とうもろこしの「corn」だと思いこんできた。コーンスナック(とうもろこし菓子)と似た食感でもあるし。
だが、原料はとうもろこしではなく、小麦である。「corn」ではなく、「cone」(円錐形)を語源とするからアイスクリームコーンという、と知ったのは先週のことである。

道路工事の現場に置かれる「コーン」と同じ由来らしい。恐れいった。

※昨日の出題文章
→ http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=3614

●思い込みとはそうしたもので、将棋歴40数年になる私のもう一つの思い込みは、王将(おうしょう)より玉将(ぎょくしょう)の方が上だと信じ込んできたこと。いつ、どこで誤解したのかは不明だが、
本当は逆である。

将棋に興味のない方にとっては、王将と玉将の二種類あることすら驚きだろうが、こちらの画像のようにちゃんとそれぞれ存在する。

→ http://bit.ly/pTIASB

そして格上がもつのが「王将」なのである。
ちなみに、餃子がおいしい中華チェーン店は「王将」であって「玉将」ではない。

●「コーン」と「玉将」、こうした些細な思い違いなら笑って許されるが、漢字を間違って覚えていたらずっと誤字を書きつづける羽目になる。文章において正しい漢字を書くことには「完璧」を目指すべきであって「完壁」ではない。

●私が「完壁」という文字を上司に訂正されたのは27才のときだった。指摘されたときのことをハッキリ覚えている。「えっ、うそ!」と思った。

それ以前に書いてきた作文や論文の類では、たまたま「完璧」という文字を使う機会がなかったのかもしれないが、「壁」ではなく「璧」を使うのだと27才にして初めて知った。

●「完璧」という単語、たまたまその日、学校を休んでいたか授業を聞いていなかったのか、習った覚えがまったくない。それに近いことは他にもたくさんある。

「気が置けない」という表現を「油断できない」と同じ意味で使っている時期があったが、しばらくしてその真逆であると知った。「気が置けない」とは、気を使うことなく気楽につきあえるという意味である。だから、酒を飲む相手は「気が置けない」相手が良い。

●同様に、「おっとり刀」で駆けつけるというと、慌てずに後からゆっくり駆けつけると誤解している人が少なからずいる。
実際には、「押っ取り刀で駆けつける」と書き、取るものもとりあえず急いで駆けつけるさまを言う。

おっとりした性格のおっとりではなく、「押っ取り」なのだ。

●「泥臭い」と「バタ臭い」を混同することもあるが、この二つも、ほぼ真反対の意味でつかう。

泥臭いとは、泥の臭いがする、つまり洗練されていず、野暮ったい。
スマートでない、田舎くさい、という意味である。
バタ臭いとは、バターのにおいがすることから「西洋風である、または、西洋かぶれしている」と表現したいときに使う。

浅野内匠頭が吉良上野介にいじめられたのは「泥臭い」からであり、欧米からの帰国子女が日本の学校でいじめられるとしたら「泥臭い」からではなく「バタ臭い」からだろう。

●最後に、伯父と伯母と叔父と叔母について。

おじ・おばでも、父や母の年上の兄や姉の場合には伯父・伯母の文字をつかう。一方、父や母からみて年下にあたるおじ・おばの時には、叔父・叔母の文字をつかう。

従って昨日の文章では「叔父さん」ではなく「伯父さん」と書くのが正しい。今度、そんなつもりで人の文章を読んでみよう。プロの作家は当然、そのあたりをきちんと使い分けている。

●カミングアウトするが、伯父と叔父、伯母と叔母、私がこの使い分けを知ったのは今月のことである。

この調子でいくと、知らないことがたくさんあるばかりでなく、間違って覚えていることもたくさんあるのだろう。

かしこまってしまう必要はないが、謙虚になる必要はありそうだ。