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続・多作家、北斎とピカソ

●昨日のつづき。

生涯で三万点の作品を残した北斎。
18歳で浮世絵師の門下生になり本格的に絵を学びはじめたわけだから、90歳で病没するまで72年間活動した。

その間、一日も休まず創作したとしても、毎日1作品以上描かなければ三万点には到達できない。これを多作家とよばずして何と言おう。

●では、ギネスが認定した世界の多作家はだれか?

それは巨星・ピカソである。彼の場合、作風がめまぐるしく変化した画家として有名で、それぞれの時期が「○○の時代」と呼ばれている。

●たとえば、1901から1904年のピカソは「青の時代」といわれる。
それは、1901年に友人の一人が自死し、それに衝撃を受けたピカソが、貧困や孤独、絶望をテーマにした冷たい青色を多くもちいて絵画を制作するようになったからである。

●また、オリビアという女性に出逢ってからは「ばらの時代」、その後、「キュービズムの時代」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」などへと変遷している。

●ピカソはその生涯におよそ13500点の油絵と素描、100000点の版画、34000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な画家としてギネスブックに記された。作品総数は北斎の5倍にあたる15万点に達するとされる。

ピカソの場合は92歳まで生きた。10歳のころから創作を始めていたので、82年間で15万点。単純計算すると毎日5作品を創りつづけたことになる。

●恋多き人でもあったピカソは、彼が79歳のときに二人目の妻・ジャクリーヌ(当時27歳)と出逢っている。年の差なんと52歳。
今の私の年令(57)で計算するなら、お相手は5歳となる。

正式な妻以外にも何人かの愛人を作り、生涯に2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供をもうけている。

●芸術に、恋に、多作家の面目躍如たるピカソは92歳で亡くなった。

愛すべきピカソを失い、将来を悲観したジャクリーヌ(40)とマリー(63)は二人ともあとを追って自殺した。92歳にして女性をそこまで悲しませる男性にはあまりお目にかかったことがない。

●さて、そんなピカソが残した言葉を紹介してこの稿をむすびたい。

・明日描く絵が一番すばらしい

・労働者が仕事をするように、芸術家も仕事をするべきだ

・誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである

・ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

●北斎とピカソ。

洋の東西をとわず、旺盛な創作欲、それは人を情熱家にし多作家にするようだ。