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言葉ではない何か

昨日午後8時、帰国した。日本はやっぱり素晴らしいなぁ、とつくづく思う。人々は優しく美しいし、街はきれいだ。それに治安も良いし食べ物もうまい。なんと言っても日本語が通じる安心感は何ものにも代え難い。サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフにて一人で夕食をしにレストランに入ったときのこと。

カウンターに案内されメニューを渡された。私はおいしいカニと地元カリフォルニアワインを堪能できて、レストランの優雅な雰囲気を味わうためにやってきたのだ。ふと横を見ると、「羊たちの沈黙」や「パニックルーム」の主演女優ジョディ・フォスターが一人でいるではないか。よく見ると違っていたのだが、美しい女性が一人でいることには違いない。しかも私の事を物珍しげに見ているのがわかる。それも当然だろう。傘がないからハンカチを頭に乗せたままだったのだ。

「つくしょう!」
日本語しか出てこない。話しかけたくても何も言えないのだ。
「どちらの国からおみえですか、学生さんですか、このお店は何が美味しいでしょうか。」
聞きたいことは山ほどある。「今日はお一人でおみえですか」も聞きたい。どうにか、ベルギー出身で昨年シスコに来た留学生だということまではわかったが、それで会話がとぎれた。あとはデジカメで写真をとりそれで終わった。

ジョディの画像 http://www.e-comon.co.jp/gazoudiary/index.htm

その後もなんどか視線は合うのだが、微妙なスマイルを交わすしかない。私がカニをむさぼり始めたころ、私とジョディとの間の席に一人の男性が割り込んできた。こんどは「ウォールストリート」のチャーリー・シーンそっくりだ。

二人はものすごく楽しそうに盛り上がり、お互いに新しいドリンクを注文しあって乾杯までしていた。
「ガッデム」と内心でつぶやいていたら、そのチャーリーが私の食べているものをみて、「そいつは旨そうだ。何を頼んだのかい?」と聞いてきた。私は、自分を頼んだものがわからず、
「I am so sorry,I do not know.」
と答えるのが精一杯だ。それ以来、彼は私に何も話しかけてこなかった。私はいろんな意味で複雑な気分になり、カニを楽しむ余裕は消えた。アメリカに居て英語が出来ないということは、あわや自閉症になりかねないほどのことなのだ。

だが・・・

そうした私の奥ゆかしい感受性は、米国において成功しにくいものであることがわかった。いや、米国に限らず異文化の中にとけ込んでやってゆくには、ことばを超越したコミュニケーション能力が必要なのだ。

今回の渡米では、延べ10人以上の日本人とお会いした。バイオ関連のベンチャー企業経営者、金融一筋30年のプロフェッショナル、渡米して40年で8店舗のスーパーを経営する社長と奥様、単身渡米してパソコンソフト流通業を始めたうら若き女性経営者、日本の大手企業を退職しMBAスクールに通う起業家候補者、LAの一等地にあるビジネスビルのフードコートで寿司店を営む女性経営者、米国留学中の若者、ロスに住まいを持ち日本でのビジネスチャンスをさぐる女性起業家候補者、旅行のランドオペレーションと宝石加工を営む事業家など、アメリカでたくましく活躍されている日本人に多数お会いした。

英語などまるで試すヒマもないほど日本語で話し続けた一週間だった。

そうした彼・彼女たちの貴重な体験を聞いていると、言葉が話せなくてもじもじしている自分が恥ずかしくなる。いずれもがワクワクするほど面白い冒険話や、信じられない快挙、危険と隣り合わせの挑戦など言葉よりも行動そのものが大胆なのだ。言葉なんか微々たる要素に過ぎない。何かを成し遂げようとする気持ちが先に必要なのだ。言葉が障害となるようなヤワな精神を持ち合わせていない。何一つ単語を知らなくても堂々と渡り合ったり、異性を口説いたりできるようなやつら(失礼)が成功しているのだ。

もちろん会話ができるということは有利だ。だが、会話が出来ないから何も話せない・話さない、というのは間違いだ。日本に限らず、同じ所で何年も何十年も生活し、同じ場所で同じ事業を営み、同じような人とだけ会っていては、やがて発想も行動も貧困になるに違いない。

「武沢さん、アメリカどうでしたか?たしか夕べですよねお戻りになったのは?」

以前にご紹介した香港歴20年の日本人経営者、筒井修社長とのミーティングで、土産話をいくつかご披露したあと、筒井さんが面白い話を聞かせてくれた。

筒:「いやぁ武沢さんね、私の友人のAさんが、アジアのある国へ毎年行っておられる。Aさんはよほどその国が気に入ったみたいで、いつもものすごく感動しておられた。」
武:「ほお、どこですかその国?私も行ってみたい。」

筒:「でもね、人間って不思議なもので行くたびに感動が薄れていくようで、やがては何も感じなくなってしまったという事をこぼしておられた。あなたのように何度アメリカへ行っても違う刺激を受けてこられるその感受性が大切なんですよ。」

武:「なるほど。」
筒:「僕の人生訓を聞いてもらえますか。」
武:「もちろん。」
筒:「生涯出会い、生涯夢、生涯感動、それが私の人生訓なんですよ。ふつうこの年(60才)になると出会いも夢も感動も乏しくなり始めますよ。一般的に言えば、今さら自分よりもはるかに若い人に会うのもおっくうですよね。ですから出会いも乏しくなるし、それなりに成功していればチヤホヤもされる。本当に生身の人間同士がスリリングに出会えるということは何才になっても貴重なことですよ。」
武:「なるほど、そうですね。」
筒:「それと夢です。夢をもっている人との出会いは、おのずとこちらの夢も刺激されふくらみます。出会いと夢があれば、感動する心を持ち続けることが出来るのです。」

ビジネスとは本来そうしたものだと思う。

<アメリカの話、明日も続く>