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豆菓子で評価された男

●この土日は二日間とも床に伏せっていた。風邪による発熱で一時は38度5分まで上がったが、うまい具合に月曜の朝から快復している。
なにしろ今日から5日連続で講演&セミナーがあるので休んでなんかいられない。

●布団のなかで眠っている時以外は、貯まっていた録画番組を見まくった。

『坂の上の雲』9本、『NHKスペシャル』6本、などが一気に片づいたので、家族も大喜びしているようだ。
なにしろ我が家のレコーダーは500MBの記憶容量があるとはいえ、私が取り貯めた作品がゴロゴロ残っている。それらが消えてなくならないかぎり取りたくても取れないことがあるのだ。

●これでディスクに残っている私の番組は、旅行番組とグルメ番組だけになった。

「どうしてこんな番組を取るの?他人様が旅先でおいしいものを食べているのを見ていても、おもしろくも何ともない」などと家人は言うが、私は結構おもしろい。

「次にどこへ行くべきか、何を食べるべきかの参考になる」と思うのだが、「あのタレントの箸の持ち方がなってない」とか「魚の食べ方が乱雑」などと、番組の主旨とは違うところに目が行ってしまうようだ。

●たしかに箸を正しく使えていないタレントは多い。

さすがにドラマや映画の中では演出家が矯正するのだろうが、バラエティ(たとえば、「とんねるずの食わず嫌い王決定戦」など)では、タレントの地が出てしまう。

●箸の持ち方や食事の仕方でタレント生命が左右されることはないにしろ、そんなことで周囲に変に思われては気の毒だ。
つい私も「だれか教えてやれよ」などとテレビに向かって言ってしまう。

●こうした食事のマナーでは得点する必要はないが、失点しないことが望ましい。

意外に難しいのが皆で食事をシェアする場合。たとえば二人で喫茶店に入って二人の間に豆菓子が置かれたとしよう。あなたならその豆をどうやって食べるか、である。

●実は、同じ状況に置かれた薩摩藩の西郷隆盛は、じつに見事な豆の食べ方をして相手の信頼を勝ち得ているのだ。

出典が思い出せないのだが、相当以前に小説で読んだ記憶がある。

ある日のこと、西郷隆盛と初めて面会した相手は、

“これがウワサの西郷か。どれほどの男か見抜いてやろう”

と西郷の挙動をじっと見つめていた。やがて茶坊主が茶を運んできた。
二人の間に豆菓子の皿を置き、去っていった。

●西郷ほどの豪傑、きっと豆の食べ方も豪快だろうと思いつつ「どうぞ」と促した。
「ではお先、いもれもす」(いただきます)と西郷が豆に手を伸ばす。

するとどうだろう、西郷は右手の親指と人差し指と中指の三本で豆をひとつまみし、それを左の手のひらにゆっくり乗せ、右手で一粒ずつ大切なものをいとおしむように味わって食したという。

その様子をみて相手は、「始末がきちんと出来る男だ」と西郷を高く評価している。

●言葉だけでは相手を信用できないとき、人はご飯の食べ方でその人の本性を見抜こうとするときがある。

たかが作法、されど作法、である。

作法といえば形だけにとらわれがちだが、その作法が生まれた心を学んでおけば動ずることがない。こういう本を一冊社長の書棚に置いておくのも悪くないはずだ。
→ http://www.jmca.net/book/ogasawara/reihou/

どなたか、この西郷さんのこのエピソードの出典をご存知だったらお教え願いたい。